よむためにうまれて

これは、子どもの本の専門店や、気に入った本屋さんのはなし、などなど、上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるする記録です。

東上野で深い緑と本に囲まれる ②

(昨日のパート①からの続きです)

 

Route Booksさんで、福音館文庫シリーズにある石牟礼道子さんの本を見つけて買ったんですけど、
別にその本を見つけたのは、特に子どもの本です、といってコーナーを設けている本棚ではなかったです。
九州関連本か「自然と人間」的なテーマのコーナーにあったような気がします(忘れました、、、)。
私はその置き方がすごく気に入りました。

 

 子どもの本て、本屋で必ず別枠のコーナーとしてあって、他の一般の本と同じ本棚に置かれていることがめったにありません。
でもこうして他の本と一緒にあって何がいけないのだろう、、、と。
そのときとても新鮮に、そしてとても当たり前のことに感じました。
こういうお話をしていくと「子どもの文学とは何ぞや」という話にまで至ってしまいそうなので、深入りせずにさらっと書いておこうと思いますが、結局、何をもって子どもの文学と(大人の)一般の図書を分けるの?、という線引きを考えてしまいます。
それは言葉なのか表現様式なのか。
もはや、その本の対象者が子どもだから、という線引きは通用しないでしょう。
作家自身も、子どもに向けて書く、という人よりも、自分のために書く、という人の方が多い気もします。
ハリー・ポッターを書いたJ.K.ローリングも、ことさら児童文学のカテゴリーに属す本を書く、という意識など全くなかったとどこかで言っていました。
たいていの作家はそうだと思います。
どちらも同じ文学ですが、やはりカテゴリー的に、(子どもの本)と(大人の本)という分け方は、学術的な世界から本屋の中にまで何となく存在しています。
でも、だから、混在して売る本屋さんがあってもすごく面白いのかもしれない。

『文藝別冊 永久保存版かこさとし 人と地球の不思議とともに』河出書房新社)の中で、かこさとしさんが、子どもが小学校低学年になる頃には、子どもたちの興味の対象は1000(!)くらいの分野に及ぶと言及しています。


歴史の本、科学の本、生物、音楽、地理、旅行記系、小説。普通の本屋がとっているカテゴリーで本が並びながら、そこに通常児童書コーナーに仕切られて並んでいる本がちょっと一緒に入っていて、例えば科学のコーナーで立ち読みしている大人の下に、自分が解しうる言葉の本を選んでしゃがみこんで真剣に読んじゃってる子どもがいたりしても、いいじゃないか、などと妄想してみました(笑)。
そう、子どもは「立ち読み」しないですね。
真剣に読みふけりますね。
場所を問わず。
それはちょうど、子どもの本の専門店で夢中になってしゃがみこんで絵本を広げて選んでいる大人がいたっていいのと同じことで。
大人にとっても、いつもの本棚に子どもの本が必要ですしね。

 

(今回は写真はなしでした~)