よむためにうまれて

これは、子どもの本の専門店や、気に入った本屋さんのはなし、などなど、上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるする記録です。

今日も本を読みます。

 

今年もこの日の14時46分が巡ってくるなぁ、と思っています。

 

先日、国立国会図書館が震災から1年後に出した図書館の被害報告書を読んでいました。

 

この震災で発生した全国の図書館での被災状況が淡々と綴られていく中で、

ところどころに、報告執筆者の体温が感じられるような文章もあったりして、

そんな体温のおかげで被害“リスト”が胸にせまる報告書だった。

 

もろもろの被害に耐える中で、

読書という時空間が、本が、個人の人間性を回復することに重要な働きをした、

と報告書の中で言及されていることに素直に感動した。

ある意味で御役所の報告書で、「人間性」に言及するのはとても難しいことだと思う。

 

でも、そうとしか書けない事柄であったし、そうとしか書けない体験を、国単位として経験したということなんだろうと思う。

 

 

そちらは図書館の被害内容ですが、書店の話については、

『「本を売る」という仕事 書店を歩く』(長岡義幸/潮出版社)という本で、最後の第5章が、「震災を超えて」という内容になっています。

(他の章もとても面白い内容です。)

 

 

今年に入って、ル=グウィン石牟礼道子さんの訃報がありましたが、

私は前々から好きな作家さんが亡くなると、

往来の真ん中にぽつんと取り残された子どもになったような気分になります。

あなたのいない世界で、どうやってこの時代の濁流を生きていけばいいですか、とそのたびに思ってしまいます。

 

 

だからまだまだ本を読みます。

 

 

速読術なんて身につけていないし、

一日に取れる読書時間も短いけれど、

 

今日も本を読みます。

 

 

湧き上がってくる問いに答えるべく、

 

これからも、自分のために本を読みます。