よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

恵比寿に立つ大木のような③

(ちえの木の実ーその①)

 

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 (ちえの木の実ーその②)
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前回からの続きですが、

「よるほんや」は、お店が閉店した後に1900~始まるイベントだそうです。

こちらは会費ありのイベントですが、夜お店が閉まった後に集うんだそうです!

夜に一仕事終えた本屋さんに入れるなんて、それだけでわくわくするぜいたくな体験です。

参加者にはプレゼントの特典もあるそうです。

 フィンランドあるあるの『マッティ』を自称する私としては、

少し一人で参加するのは勇気がいりますが、いつか参加してみたいです。

(ちなみに全然関係ありませんがマッティのお話は、続編の新刊が出ています。)

 

さて、最後に。

“知恵の実”、といえば、聖書のアダムとイヴの話で知られていますが、

大学時代、大好きだった哲学の先生の授業で、この“知恵の実”について学びました。

“知恵の実”、とはつまり分別が身につくということ、

人間が「いい・悪い」「正しい・正しくない」という判断をする能力をもったことを示している、と授業で述べられていました。

つまりさまざまな言葉で言い換えられているところの、

ソシュールが解き明かした言語の恣意性であり、

大ベストセラーになった養老孟司さんの「バカの壁」でもある、ということだと思います。

もともと無分別で境界線のなかった世界に自分の引きたいように線引きをして、

アレはああ、コレはこう、と自他やら何やらを切り裂いていく、

それを身につけてしまったこと。

先生は、その限りにおいて、「人間は、皆、同じ馬鹿なのです」と言っていました。

では、すべきことは何か、

リンゴの実を、“もう一つ”食べることである。と学びました。

つまり人間がそうして自他を分けようとする者であること、

バカの壁」がそれぞれの中に立ちはだかっていることを、

まず、知らなければ始まらない、ということだと。

それは、児童文学がこれだけの繁栄を築き上げたこととも通じると思います。

つまり、大人になって、分別の世界にどっぷり浸かった私たちに、

児童文学は、もうひとつの実を与えてくれる芸術として、育ってきたのだろうと思います。

分別と無分別の間を結ぼうと、懸命に彼方から問いかけてくれているものなのだと思います。

 

長くなりましたが以上です~。

ちえの木の実さんは、

立地、本の探しやすさ、品揃え、提供している情報量等を加味した児童書専門店便利度数は、

今のところ私の中で★★★★★です。

 

(もちろん、立地はそれぞれの方の事情に応じて変わってくるものですが、最寄り駅の恵比寿からまっすぐなので、方向音痴の方にも探しやすいです!笑)

 

 

 

#児童書専門店 #子どもの本 #ちえの木の実 #恵比寿