よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

桜に似た花の狂い咲きか否かは、だれが決めるのか

寮の敷地内に、桜によく似た木が花をつけていて、

 

毎朝、そこの前を通るときに「こっちでも狂い咲きか~」と思いながら、

 

それでもこの桜に似た華憐さに懐かしさをもらいながら、

 

眺めている。

 

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でも、

 

今日見たらどんどん花が増えていて、

 

もしかして狂い咲きだと思っているのは私の勘違いで、

 

ふつうにこの花の開花時期が、

 

この、ほぼ冬になりかけている11月の肌寒い時季なのかもしれない、

 

と思った。

 

 

その花の開花時期が「狂い咲き」なのか否か、という問いには、

 

その花のことをよく知っていない限り、答えられない。

 

あるいは、狂い咲きなのかもしれないけれど、

 

今年この時季、その花が開花してしまえ!と思ったなら、

 

花開きたくなる気温だと感じたのだとしたら、

 

それは「狂い咲き」と呼んで正しいのだろうか。

 

 

言葉はいつも、一方向からしか当てられない懐中電灯でしかなく、

 

あまねく照らしてくれる太陽や月の光ではない。

 

自分の光の射程距離を知るには、

 

誰しもが皆、どこかしら、自分も「狂い咲き」の分類に入ることを知り直すしかない。