よむためにうまれて

子どもの本の専門店や本屋さんのはなしなどを記録するとともに、上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいきます。

児童文学を学ぶための留学  ー大学列挙編③

閑話休題

 

体調がようやくもとに戻ってきたので、

ブログを児童文学のおはなしに戻します。

いやぁ、この1カ月はただただつらかった。。。

 

さて、昨年末に海外で児童文学が学べる大学を列挙しました(米国以外)。

以下はその列挙編です。

 

nplmanatee.hatenadiary.jp

nplmanatee.hatenadiary.jp

 

今日は高等教育機関に児童文学を学べるコースのあることについて、

考えたことをまとめておこうと思います。

 

列挙してみると、それぞれの大学に特色があって、

さまざまな学生を国内外から取り込もうと頑張っていることがよくわかります。

大学にとっても、その学生の実績や経験、知識が、大学の財産になるので、

より優秀で独自性があって経歴のユニークな学生を広く囲って、

新しい人材によって、自分たちも進化していきたい!という思いを持っています。

(と、少なくとも私は今感じています。)

それは大学として、素晴らしいことだな、と思っています。

教授陣だけが引っ張るのではなく、大学側も学生に対して、

大学のコースに貢献してもらいたい、と望んでいるわけです。

双方で成長しましょう、と。

 

昔は、日本から海外へ留学をして児童文学を学ぼうと思う理由は、

日本の市場に欧米の児童文学作品の輸入が多く、そちらの方の研究が盛んで、

本場でも勉強が必要だったことが主な動機だったろうと思います。

でも今は、どの国のコースにも多様な国からの多様な留学生がいます。

児童文学が多様性を目指し、

それだけこの領域が器や幅に常に注意を払いながら拡大してきたことを

目の当たりにできるかもしれません。

子どもを取り巻く環境が多様化していて、

移民国家である米英加豪、

そして移民を受け入れてきた欧州が、

児童文学界をひっぱってきたことにも象徴されていると思います。

 

もう一つ“児童文学王国”としての貫禄を見せつけられることは、

ケンブリッジ博士課程の門戸を児童文学研究に開いていることですね。

そしてその課程を率いる最初の「教授」にニコラエバがなったこと、

これは画期的な出来事だったと思います。

日本でいえば、京大に児童文学専門の博士課程ができるのと

同じような感覚ではないかと思います。

しかもMPhilなので、基本的にドクターへ進むことを前提とした修士課程です。

日本語で分けるとすれば、修士課程ではなく、

「博士前期課程」という位置づけが一番近いと思います。

 

ただ、マーケットとしてはどうなのだろう?と最近思います。

これは、玉置さんも『イギリス絵本留学滞在記』の中で指摘されていますが、

イギリスは、自分の国が児童文学大国だからか、

書店で海外の子どもの本を見ることがあまりありません。

文学としては、村上春樹やばななさんや

世界から猫が消えたなら』とか

日本の作品もたくさん平積みされていて、

関心は高いのだな、というのがうかがえます。

が、子どもの本となると・・・。

これは需要の低さと、出版社の傾向かもしれません。

売れない本をリスクをとってまで出版したくないのか、

あるいは、もっと基本的なところで、

翻訳家があまりいないのかもしれません。

玉置さんのおっしゃるとおり、

日本の子どもたちの読書環境は、

世界的に見ても非常に多様性に富み、

あらゆる国の作品を楽しめる環境にあるといってよいと思います☆

大小含めたすべての出版社の努力のたまものと言ってもよいでしょう。

大きい出版社が扱ってくれないようなマイナーな国の翻訳作品も、

中小規模の出版社がすくい取ってくれるからだと思います。

まさに、手刷りのタラ・ブックスの本が日本で手に入るのも、

たむら堂さんのおかげ!というわけですね。

 

私も、学びたいと思って学べることに感謝して、がんばろう。 

今回の体の不調ではだいぶ精神的にも挫け、

このままここにいることに恐ろしさすら感じてしまいましたが、

1カ月以上かかって体調も安定し、

ふつうに授業にも出られるようになりました。

気持ちを新たに、残り半分をめいっぱい走りきりたいと思います。