よむためにうまれて

子どもの本の専門店や本屋さんのはなしなどの記録。上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

三月

今日を、7年ぶりに、海外で迎えています。

震災から1年目、

全世界へ中継された追悼式を見ながら、

涙腺が決壊したのを今でも思い出します。

あれから、

2回転職をし、

1回完全退職をして、

今、海外にいますが、

年を経るごとに、居場所を移すごとに、

自分がしようとしていることは、

どんなふうに誰かの命と生活につながるだろうか

と、問うようになりました。

 

1学期目のエッセイで、

(マルチリテラシーの授業でした)

震災以来発生した膨大な量の

ツイートやブログの言葉、

語り部になった方々の言葉、

デジタルストーリーテリングなどを、

「トランスリテラシー」という

新しくて古い概念から照らしてみる、

という考察を行なってみました。

 

私が知りたかったのは、

人はどうやって物語を語るのか、ということ。

その媒体について私はあまり興味はなくて、

使われる媒体はただ有機的に

その人の時間と場所とからんだ編み物になるだけで、

誰のどんなふうに語られたものも、

等しく、

その人の真摯な物語である、

ということ。

自分で自分の物語を語らなければいけない、

ということを、

知りたかったんだと思う。

 

Patrick Ness の A Monster Call の中で、

(邦題『怪物はささやく池田真紀子さん訳)

モンスターが最後に少年に課すように、

本当のことを語ること。

人生では、ときにそれが、

できたり、できなかったりする。

それをくりかえして、

年月が重なっていく。

そして今は、

こんなにも簡単に、

自分の言葉を世界の片隅に、

置いておくことができるようになった。

 

ところで、

体調を崩して、治ったと思った途端に、

また次から次へと大事なものが

壊れたり失くなったりしていて、

とどまることを知らないほどの不運が続いています(笑)

もう、むしろ笑うほどの怒涛の不運です。

でも気持ちは、病気が治ってから、

何が起こっても元気が一番!と思っていると

めげないものだということを知りました。

母に手紙を書いていて気がつきましたが、

大事なものの順番に無くなっていってる気がします。

健康 > パソコン > クレジットカード(T-T)。

むしろドラマチックで逆に凄いです( ̄▽ ̄;

次はたぶん折りたたみ傘が壊れそうです、、。

結構もう限界がきていて、時々開かない(笑)

折りたたみ傘も、

毎日雨がふるこちらでは生活必需品です。

 

でも、

元気でごはんがたべられるだけで、

いまは、こころからわらえます。

あとのことは、

まずはたいしたことではないかもしれない。