よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

ヘルシンキの本屋さん① ― アカデミア書店@ケスクス通り

観光のおはなしはこれくらいにして、

ヘルシンキの本屋さんへ行ったおはなしです。

まずは、中央通り、のアカデミア書店です。

1969年にAlvar Aaltoがデザインした商業ビル、

というのが、ざっくりとした前情報でした。

アルヴァ・アールトのカタカナでウィキペディア情報が読めます。

建築以外にガラス製品やいすなどの工芸品のデザインも

手がけたアーティストなんですね。

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☟入口の手すりが美しいです。

写真には一足分しかおさまってませんが、

扉までの床には、足跡がデザインされていました。

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ヘルシンキはトラムを使う日以外はひたすら歩いていましたが、

歩いていても、建物のちょっとしたデザインが

とてもすてきで、あきることがありませんでした。

どこに目をやっても美しいデザインのラインが目に入る、

そんな街でした。

 

さて、本屋さんのショーウィンドウには、「もちろん」

ムーミン(パパ)。

そしてその右側には、私がフィンランドが気になり始めた

きっかけの一つともなった『マッティ』がいます!
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もうすっかり、ムーミンと並んで、

フィンランドを代表するキャラクターですね~。

ポストカードのコーナーにも、『Finnish Nightmares』から、

たくさんのイラストが絵葉書になって売られています。

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ショーウィンドウ横のスペースには、

トーベ・ヤンソン・コーナーが。

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私の好きなThe Sommer Bookの横に、

A Winter Bookというのがあって、これは買いました。

右を見ても左を見ても、ムーミンムーミン
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1階奥の児童書コーナーにも、もちろん

「MOOMIN」がここにいますよ~☟とすぐわかる壁のイラスト。
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MUUMI MUMIN MOOMIN。何かの呪文みたいです。笑
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おもしろいな、と思ったのが、

児童書の本棚を歩いていると、

イギリスでハリー・ポッターだらけだったのが、

ここではムーミンだらけでした(至極当然ですが)。

そしてハリー・ポッターが、

one of themのキャラクターとして、

それなりに本棚のスペースは埋めていますが、

「それなりな程度」なのです。

 

Guardian紙のウェブ記事で、

ムーミンの新たなTVアニメーション化に際して、

「このカバっぽい生き物が」(笑)なぜそんなにいまだ人気なのか、

ということを書いた記事を読みました。

(日本でのムーミン人気についても、

 ユニクロが採用していることを挙げて、

 一行だけふれられています。

 "(The Moomins are huge in Japan)")

ムーミンシリーズ9作品と、トーベ・ヤンソンの生涯と、

さらに時代的背景をあわせて説明してくれています。

フィリップ・プルマンをして、

トーベ・ヤンソンノーベル文学賞を贈られるべきだった」

と言わしめたヤンソンは、

確かに、イギリスやアメリカの

子どもが常に何かの困難に立ち向かうような児童文学とも違うし、

明日から行く、ドイツの

―例えばミヒャエル・エンデのような、

社会的問題を児童文学という文芸形態を

最大限いかした形で扱うタイプとも違う。

記事の中で、

フランク・コットレルボイスという

子ども向け作品の脚本家の方の言葉を借りて、

「労働者階級のリバプール出身である自分に対して、

このフィンランドの上流中産階級にしてレズビアンの彼女は、

まっすぐに語りかけてくる」

と端的に紹介しています。

 

たぶん、子どもの文学は、

質が高くなればなるほど、

子どもの文学であることや、

読み手側の社会的文化的時代的状況を、

縦横無尽にとびこえて、

あっという間に

その人のど真ん中にやってきて、

そこに向かって語りかけるのでしょう。