よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

ロンドン:安野光雅展―Anno's Journey@ジャパンハウス②

昨日からのつづきです。

 

Anno's Journeyといっても、

展示自体は『旅の絵本』だけが主体になっているのではなく、

むしろ安野光雅の日本的な本が多く紹介されていました。

展示タイトルはきっと、

安野光雅のたどってきた創作の旅を意味しているのでしょう。

 

スペースは小さいながら、

マカオの友達が指摘したように、

多彩なAnnoが見られる展示になっていました。

ふしぎなえや、 

鏡のように反射する素材で筒をつくって

絵本の真ん中に据えると、

本来の絵がわかる

魔法使いのABCなど、

科学的な観点の作品から、

切り絵、そして日本的な平家物語

京都の風景を描いた洛中洛外まで。

天動説の絵本のようなヨーロッパを舞台にした絵を描いたら

そのおとぎの世界観の完成度で一気に

世界水準に躍り出た「Anno」のイラストとは

また少し違う趣の、「にっぽん安野光雅」も味わえました。

きっとジャパンハウスとして、

日本紹介もかねているために、

そうした展示内容になったのだろうと思いますが、

海外に紹介されているAnnoだけを知っていた人には、

とても新鮮な内容になっていたのではないかと思います。

 

大学院のコースのクラス代表の発案で、

Book Clubをつくって、

月に1回くらい、テーマを決めて

皆で本の紹介や話をしたのですが、

私はその中で日本の児童文学の紹介を担当しました。

世界のAnnoは、もちろん紹介すべき絵本作家の筆頭にあがりますが、

Anno's Journeyだけじゃないのです!

ということで、

『さよならさんかく』(安野 光雅)|講談社BOOK倶楽部

のイラストなども紹介に入れました。

そして、安野さんが『絵のある自伝』の中で語っていたんだと思いますが、

アンデルセンの自伝小説『即興詩人』が大好きだった、という話なども紹介し、

クラスメートには興味深く聞いてもらえたように思います。

 

展示の中でも、

特に昔の子どもたち

とってもユーモラスな中身で、

子どもも大人も楽しめる絵本です。

帰国したら絶対買おう!と思いました

増税前に必ず手に入れるつもりです(笑))。

「みっちゃん」の子どものころの日常が、

絵日記形式でえがかれています。

文中に使用されている漢字も、

そのまま昔使用していた漢字で書かれています。

そして、

そこにときどき、先生からの「赤ペン」が入っていて、

例えば、

   「歸」(※「帰る」の旧字体)という字を

   あと何回書きましょう。宿題です。

といった先生からの返答がユーモラスにつづられています。

絵日記の中にある、

先生とみっちゃんとのちょっとした「対話」

ですね。

絵本はいつも、 

誰かと誰かの対話の場。

そんなふうに絵と文の双方によって、

物語に豊かな奥行きが構築されていて、

“あのころ”が目の前に広がる楽しさと、

なつかしい遠さとを同時に味わえる遠近感を、

友人と談笑しながら楽しみました。

 

リーフレットには、

安野さんが島根の田舎町で生まれ育ち、

そこから旅をして、

今再び京都の風景や、

自分の子どもだったころの絵物語

描いていることを紹介していました。

 

安野さんは、

歴史小説の巨人ともいえる司馬さんの

街道をゆくシリーズに同行されてましたから、

街をみること、国をみること、そして風景をみることにも、卓越しているのだろうと思います。

要するに、

風景の中に、人間を観ることに。

 

『洛中洛外』の画集の冒頭だったかと思いますが、

東京をアメリカだとすると、京都はイギリスだと思います。

と始めていました。

そして、司馬さんが、文化と文明の違いを、

方言と標準語、

という説明で簡潔明瞭にしていたことにもふれていました。

京都はどっちかというとイギリスだと言われたら、イギリスの人も納得してくれるものと思います。

日常の景色の積み重ねが文化であるなら、

文化には、人の血とか体温が通っているものだともいえるかもしれません。

 

展示の中央スペースは、

クッションがあって、

そうした安野光雅作の本がそろえてあり、

座って読めるようになっていますので、

時間を取って安野さん自身の言葉にふれながら、

そのはるかな旅路を、少しだけでも、

ロンドンはケンジントン・ハイ・ストリートという場で追ってみるとおもしろいと思います。

 


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:::訪問後番外編:::

私はこのあと、デザイン・ミュージアムに行って、それからハッチャーズへ行くべく、地下鉄に乗ってピカデリーサーカスで降りました。

ケンジントン・ハイ・ストリートの駅を出るとき、ちょっとトイレに行きたくなり、ジャパンハウスで、TOTOの異次元的に清潔なトイレを借りてから行こうかどうしようか迷ったのですが、

トイレだけ借りに行くのもちょっとな~

と思い、地下鉄に乗ってしまうことにしました。

そこでピカデリーサーカスについたら、ちょうど有料トイレがあったので、有料でもまぁ、コインをどんどん使っちゃいたいし、と思って入ったら、

 

汚すぎ&故障しすぎで、

 

10室くらいあるトイレのうち、我慢できるきれいなものは1つしかなかったのです。

と、そこで、TOTOと日本的トイレの清潔さへのこだわりは、

文化と文明であれば、文明側だな・・・

などとふと思いました。

そしてトイレから出て、ちょうど、きれいな個室を探しているお姉さんがいたので、

「ここは少なくともまだキレイだよ」と教えてあげると、

ありがとう、ほんとムカつくよね(`^´)、と言って入っていきながら、

全く!50P払っているっていうのに!

と言うところで、私も同じことを言い、ぴったりとお姉さんと会話が重なったのでした。笑。

 

こういうやりとりを体験できるのは、

文化の方だな、

と、全くどうでもよいことを思いました。