よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

’Julian Is a Mermaid’②:おばあちゃんと、ジュリアンと、時々、マーメイド

・・・某ベストセラー書籍のタイトルをパクってしまった(笑)。

昨日に引き続き、Julian Is a Mermaidという絵本の日本語版出版のためのクラウドファンディングのサイトをご紹介します。

greenfunding.jp

 

 

この絵本の主要な登場人物は、ジュリアンとおばあちゃんです。

そして、マーメイドと、カモメと 海が、二人をやさしく取り囲む世界観をつくりあげています。

 

あらすじは、上記のファンドレイジングサイトにも出ていますので、あらためて書くまでもないのですが、ちょっとだけここにも書いておきます。

 

物語は、ジュリアンとおばあちゃんが地下鉄に乗っているところからはじまります。

テキストは、数少ない登場人物である、主人公のジュリアンと、そのおばあちゃんと、その後ろで地下鉄に乗り込もうとしている「マーメイド」とを紹介します。

f:id:tokyomanatee:20191118103612j:plain

地下鉄に乗っているジュリアンとおばあちゃん

この時点で、英語圏だと、ジュリアン、という名前で男の子だということもすぐにわかるんですね。そして、テキストも「ジュリアンという男の子」と紹介しています。

つまり物語のはじまりでは、ジュリアンを男・女の二元論の視点から紹介することでスタートしているのです。

 

そして、ジュリアンとおばあちゃんの乗っている車両に3人の「マーメイド」が乗ってくる場面で、ジュリアンが「マーメイド」が大好きであることを紹介します。

f:id:tokyomanatee:20191118103639j:plain

児童文学は変身を示唆する数はいつも3。ここでもマーメイドは3人なのが面白いです。

ジュリアンは、自分も「マーメイド」になることを空想します。海の中を泳ぎ、魚たちの群れに囲まれると、気がつけば自分も尾ひれがついた可愛らしい人魚になっています。

人魚になったジュリアンに、大きな青い魚が、首飾りをくれるところで、ジュリアンは空想から現実に戻されます。

 

 

f:id:tokyomanatee:20191117173017j:plain

首飾りをもらう人魚のジュリアン

 

この空想の場面が、実は絵本のクライマックスに対して、「肝」となる伏線をはっています。

(・・・と書いていて、あまり書きすぎてしまうと、これから日本語版が出るときのネタバレになってしまうΣ( ̄ー ̄; ということに気がつきました・・・。)

 

家に帰ったジュリアンは、自分も人魚になってみようと家の中のものを使って工夫をしてみることにします。

そして、さぁ、その姿を見たおばあちゃんは・・・、というところまでにしておいた方がよいですかね。。。

 

男の子だけど、スカートがはきたい。

女の子だけど、男の子と同じ遊びがしたい。

あるいは、女の子であって、素直にとびきり女の子らしいものが好きでいたい。

など、子どもは本当はジェンダーの差異を積極的に選びつつ、同時に、周りの環境からも大きく影響されています。

 

欧米では、女の子がディズニーのプリンセスに憧れたり、女の子向けのおもちゃがショッキングピンクばかりであることに、親の側が抵抗を感じることが多いようです。例えば、女の子が鉄道や恐竜を好きになったっていいにも関わらず、それらのおもちゃは明らかに男の子をターゲットに作られています。

そんなふうに、子どもたちの周りの物には、すでに、「男の子」「女の子」のラベルが貼られています。

 

私は小学校の頃、いちばん好きな色がみどりでした。

学校で買うように、と言われたお絵描きの絵の具入れのケースには2種類、エメラルドグリーンに近いみどり色と、朱色っぽい赤があり、中身の絵の具自体は同じものなのに、何となく男の子はみどり、女の子は赤のケース、という暗黙の線引きがありました。

家に帰って注文書を母に渡し、「女の子はみんな赤だから」というと、

「そんなの関係ないでしょ!!あんたはどっちがいいの?何色がいいの?」と母に言われ、みどりを注文することにしました。

母はいつも「人は人、自分は自分」と私に言い聞かせてくれた、とても心の強い女性でした。何にしろ、みんながそうしているから、という理由はいつも速攻で却下されました。

 

しかし私は、なるべくみんなと同じがいいと思う弱い子どもでした。

後々、女の子が皆、赤の絵の具ケースを開けるのを見ると、時々、私も赤にしとけばよかったかなぁ(´・_・`)と思うような、意志薄弱な虚弱児でした。

そんな中、クラスの男の子に、1人赤いケースを使っている子がいたのです。ある日その子が、私が緑のケースを使っているのを見て、「オレも、赤が好きだからこっちにした。別に全然いいよな!( ̄^ ̄)」と言いました。大柄なガキ大将タイプの男の子だったので、◯◯君は強いなぁ〜、と思ったのをとてもよく覚えています。

 

お習字道具やランドセルの黒は男の子とか、赤は女の子とか、誰がどう決めたんでしょうか?

子どもは世界中に無数にある色に囲まれて、好きだとか嫌いだとか、自分の好みを自分で見出していくことができていいはずです。

だから、最近の小学生が、オシャレな色とりどりのランドセルを背負って走っていく後ろ姿を見るたびに、いいなぁ、いい時代になったなぁ、と思っています。

 

f:id:tokyomanatee:20191118103914j:plain

ジュリアンは、マーメイドになりたい。

長い髪に、髪飾りをして、

お化粧をして、

長いきれいな尾ひれをまとった

かわいいマーメイドになりたい。

 

そのことに、

何ひとつ、間違ったところなどありません。

 

イラストは、やわらかなタッチで、暑い町の空気まで伝わってきそうな味わいを醸し出しています。

ファンドレイジングサイトの説明にもあるように、この絵本のテキストは、非常に簡潔で、少ないです。それも一つ、この絵本を構成している重要なカギですが、その少ない文章は、イラストの創り出している世界観の中で呼応してこそ、少なく、簡潔でいられています。

 

窓の外の景色、そこをゆくカモメたち、そして最後のパレードに現れる水平線などなど、イラストの背景にも注目です。

絵本の中で主要人物はおばあちゃんとジュリアンだけ、というのっぴきならない関係性を、背景によって見事に支えているように思いました。

 

絵本とはそんなふうにコミュニケーションをとってくるメディアです。

片隅に描かれている空を飛ぶカモメも、物語の中でしっかりと別の次元を訴えることができます。

「自由」とは何だ、と、問いかけることができます。

長新太の絵本のように、水平線一本ひくだけで、

 

この世界は君たちの世界だ

 

と読者を招き入れることができます。

 

作者のジェシカ・ラヴは、おばあちゃんの存在と重なるようにして、背景の中にいて、力強くジュリアンを励まし、抱きしめていることがよくわかります。

それはつまり、その向こうにいる読者の「ジュリアン」を、

あなたはそのままでいい

と強く抱きしめていることでもあるのです。

人は人、そして、

自分は、かけがえのない自分。

だからこそ、他者もかけがえのない存在として、尊重できるのです。

 

f:id:tokyomanatee:20191118103951j:plain

そしてもう一つ、絵本の表表紙と裏表紙の見返し部分のイラストもステキですので、隅々まで楽しむことができる絵本です。

 

読んでみたいなぁ、と少しでも思われた方がいらっしゃいましたら、ぜひ、翻訳者さんのプロジェクトサイトをご覧になってみてくださいね~!

f:id:tokyomanatee:20191118104003j:plain

(つづく・・・)