よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

もの凄くこのブログに関係のないおはなし③:百年単位の衛生観念

イタリアでは死者千人超になってしまって、イタリア人のクラスメートもいたから、とても心配。

それにしても、どうしてこんなに多いのだろう・・・と、ニュースを見るたびに考えていた。

 
いろんな意見がネット上ではあふれていて、高齢者が多いから、スキンシップをよくする国民だから、など、きっとどれもがそれぞれに要因だと思う。
個人的には、話されている言葉も影響するのかな、と思っていた。
日本語は、言語的に破裂音がそこまで多くないし、発音ひとつひとつが子音と母音が合わさっていて発音しやすいから、口の筋肉の運動領域が狭い(だから、日本人は外国語の発音や聞き取りがとても不得手)。
日本人は、あまり大きな声でわあわあとは話さないし、電車の中でもあまり話さない。携帯電話を電車で使えない国なんて、日本くらいなもので、それだけ音にとても神経質な国民である証拠だ。

 

でも、それだけで本当にこんなに違いが出るのかな?

 

と、それでも腑に落ちない部分があったのだけれど、昨日ふと、どれだけ留学していた大学の図書館が汚かったかを思い出した。
ブログに書いていたかどうかは忘れてしまったけれど、いつも図書館で勉強を始める前に、百均で大量購入して持ってきていたウェットティッシュで、机をきれいにふいてからラップトップを開いた。
途上国で暮らしたこともあるから、自分自身はそこまでの潔癖症だとは思っていないけれど、それでも、図書館の机はほんっっっとうにいつも汚かった。
お菓子の食べかす。サンドイッチの食べかす。よくわからないけれどベタベタした付着物。髪の毛。などなどが、必ず机の上に残っていた。
ある学生は、自分のかじり終わったリンゴの芯の残ったところを、直に机においていたりした。
もうひとつ、(耐え難いな。怒)と思っていたのが、靴を履いたままの足を、机に乗せる学生がいること。
特にこれは、欧米の学生がよくやっていた。
靴を履いていてもいなくても、日本ではこの行為はあり得ない。
毎度毎度ウェットティッシュで机を拭くたびに、(ああ、日本人だなぁ)と思ってしまっていたけれど、特段ためらうこともなく、我慢できんもんはできんのだ!と思って、図書館のスタッフすら拭いていないだろう机を、せっせときれいに拭いてから、勉強にとりかかっていた。

 

公園ではリードをつけていない犬が自由に走り回っていて、それでも、彼らはお行儀がよく、実に愛犬国家であることがわかるけれど、その一方で、歩道には、犬のフンも多い。ゴミも多い。

例えば、パブなどでは、スタッフはカウンターの向こう側で給仕をして、客はカウンターで注文したらすきなところに陣取ってビールを片手に談笑している。
とてもにぎわっていて楽しそうなんだけど、つまりそれは、各テーブルは、次から次へとくる客ごとには拭いていない、ということになる。

 

クラスター」という言葉が使われるようになったころ、「一人の感染者が感染させている人数はそこまで多くない」という見解が出ていたけれど、それは日本だからではないか、と思わないではない。
仮に、リンゴをかじってそのまま机においた学生が感染者だと仮定したら、そこを震源地に、おそらく一日でざっと20~30人の感染者は出ると思う。
私たち自身は気づいていないかもしれないが、マスクやら手洗いの習慣以上に、日本の身の回りの環境の清潔さ、公共スペースの清潔さは、世界的にも珍しいと思う。
なんなら、世界中の人から見たら、日本人はほとんどが潔癖症とすら思われるだろう。

 

イギリスのメディアは、アジアの例を挙げるときに、韓国、シンガポール、香港などの名前はあげるけれど、あれだけクルーズ船で騒いでいた日本は例に出していない。
たぶん、検査数が少ないから、比較対象にならないと思っているのかな。

 

今はひたすら冷静に、自分の身の回りをきれいに掃除をするのが、一番かもしれない。
家の中も、土足であがらないからきれいだし、蛇口をひねれば、きれいな水が出てくる。毎日それでお風呂にも入れる。
江戸の街を初めて見たヨーロッパ人が、そのきれいさに驚いたのは有名なはなしだ。だとすると、この衛生観念は、百年単位でこの国には根づいているのかもしれない。
こんなに水の豊かな国に暮らせていることに、心から感謝をして、しっかり掃除と手洗いをすることに尽きる気がした。