よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

今こそ本を📚:お月さまから始まるカオスのつくられ方

世界が混沌としてきましたが、ファージョンの『ムギと王さま 本の小べや1』(岩波書店)の中に入っているおはなしで、「月がほしいと王女が泣いた」('The King's Daughter Cries For The Moon')というのがありました。

 

お月さまがほしくなって、涙を流す少女を発端にして、世界があれよあれよという間に大混乱におちいるおはなしです。

 

はじまりは、お月さまがほしい、と思った王様の娘が、月に近いところへ行こうとして煙突にのぼりますが、とどかない。

そこで煙突の上でしくしくと少女が泣きつづけたことで、煙突からはぽたぽたと水がたれてきて、料理人は料理ができなくなった、と仕事を放棄してしまいます。

王宮の料理人が職を放棄したのだからと、町中の料理人が仕事をやめ、やがて各家庭の奥様たちまでが料理をつくらなくなる。

 

月がほしいと泣いた王女の願いを届けようと、コウモリは「夜」に直談判をします。

何をたわけたことを、と一笑にふす「夜」ですが、これを聞いていたフクロウとネズミとガが、少女の目が灰色で、黒髪に真っ白なほほをしているなら、彼女は私たちの仲間だ!「夜」はまちがっている!と、「夜」に対して謀反を起こすことをくわだてます。

 

次に、月がほしいと泣いた王女の願いを、今度はツバメが「昼」に直談判します。

しかし、知ったことか!と一蹴する「昼」に憤慨したツバメに、魚やデイジーやらが、金色の髪に青い目をした少女は、ぼくらの仲間だ!「昼」はまちがっている!と、「昼」に対して謀反を起こすことをくわだてます。

 

一方、行方不明になった王女を探すべく、王様は家来に命じて犯人捜しをしますが、家来たちは少しでもあやしいやつらを手当たり次第、芋ずる式につかまえてきては、牢屋にぶちこみ始めます。

さらには、奥さんが料理を作らなくなり、今度は国中の旦那衆が仕事を放棄し始めます。

 

世界はどんどん水面下で混乱を広げ、運命の4月1日、

(あら・・・、奇しくも明後日ですね・・・。偶然ですが、物語では4月1日が謀反決行の日になっています。)

夜と昼が逆転し、戦争がはじまり、世界は上へ下へ、右を左へ、夜を昼へ、昼を夜への大混乱にいたります。世界をそれまで支配していた二項対立を軸にして、昼ー夜、男ー女(この点で、現代のフェミニズムの視点からはもう価値観の古い部分もありますが…、内ー外、などが逆転と対立をします。

そしてそれらの混乱をまねいたものは、すべて、「勘違い」やら「早とちり」で、結局、すべてはすべてのものの先入観が引き起こしていくカオスになっています。

 

王女が姿を現してみれば、彼女を連れ去った犯人がいるわけでもないし、煙突が水漏れしていたわけでもないし、彼女の髪は漆黒でも金髪でもなく、青い目でもグレーの目でもないことが明らかになる。

なぁんだ!、と世界は元どおりになり、王女は月のかわりにお皿をもらって、もう二度と、月がほしいなどと泣かない、と約束をしました。めでたしめでたし。

 

でも今、わたしたちの目にしている世界は、一応の「めでたしめでたし」がいつになるのか、誰にもわかりません。

王女の目の色は、髪の色は、ほほの色は、本当は何色なのか。

煙突からしたたる水は、どこから来て、何が原因なのか。

あらゆる人が仕事をすることをやめてしまい、世界は停滞する。

関係のない人たちが牢屋にとじこめられ、4月1日の処刑の日を待たねばならない。

そのすべてが、結局、たった一人の王女から始まって、やがては世界中のひとりひとりに及びはじめる事件へとつらなっていく。小さな萌芽が、大きな波のような大混乱へと拡大する。

先入観なく、現実をくるいのない直角90度でもって、真正面から見つめなくては、昼は夜になり、眠れるはずの夜は、こうこうとした昼に変わってしまうかもしれない。

 

そんなカオスのつくられ方を、とても単純に、そしてユーモラスに、描いていますが、その中身は非常に現代への示唆があるな~、おもしろいな~、と思ったおはなしでした。

はじまりは小さな芽であったのに、誰一人、それを止められない様子も、このウイルスが、世界的な問題でありながら、一人一人の問題でもあることをつきつけてくれます。

 

外出自粛の今こそ、長い夜に、本を読も~✿