よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

花の種とヒグマと漁師の週末

「いっしょうけんめい生きとるもんは、みんな仲間や。」

 

 ― 灰谷健次郎「ひとりぼっちの動物園」 

 

留学先の大学の構内には、'wild flowers'という立て札のある区域がいくつかあって、野の花が無造作に、それこそ野原のように咲き乱れていました。とってもきれいで、論文に追われていた春は、このお花のそばでお昼を食べたりして、ひとときの癒しをもらって、元気が出ました。

 


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そこで、ロンドンのキューガーデン(王立植物園)に行ったとき、’wild flowers'と書かれた種を母へのお土産と、自分に1袋ずつ買ってきました。

 

母は植物大好き人間で、世界中の植物を収集しているキューガーデンは、なかでも長年の憧れの場所です。残念ながら、私の留学中にイギリスへ来られなかったものの、キューガーデンのお土産をいろいろと買いました。

そんな母が大絶賛で薦めてくれた本がこちらの本☟です。すごくおもしろいそうです(まだ読んでいない)。植物好きの方におすすめです。母曰く、王立植物園のプライド(悪く言えば帝国主義的な、)が感じられるとのことです。

www.kashiwashobo.co.jp

 

さて、すっかり種のことを忘れていた1月すぎ、ようやく思い出して、もう撒かないと春に間に合わない!と慌てて撒いてみました。

すくすくと小さな芽たちが出てきましたが、その後成長が伸び悩み・・・5センチ前後で成長が止まっています。

そんな中、2本だけがにょきにょきと伸びてきました。そして、ようやく何か花らしきものが咲き始めたぞ、と思ったら、なんと・・・ルッコラの花でした(+_+)ナゼ

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花の種を買ったつもりだったのに・・・(゚Д゚;)オイ

 

しかも、いろいろな種の混ぜ合わせだったので、何と何が入っているか、しっかり確かめて買ってきたのに。

まぁ、ルッコラ大好きなので、葉っぱが大きくなったら、サラダにでも入れようかな。

 

ほかにもいろいろと草は生えてきているのですが、つぼみらしきものは、まだ見えてきません。ゆっくりと、ほかの花たちの成長も見守ってみようと思います(花であってほしいっ(ー人ー))。

 

 

週末、テレビをつけたら、NHK世界自然遺産登録された知床半島に生きている漁師さんのおはなしをやっていました。

漁師とそこに棲息しているヒグマのドキュメンタリーで、漁師さんのある番屋はヒグマが最も多くいる地域で、番屋のすぐ近くまでヒグマが来ることもしょっちゅうあるのに、ヒグマが漁師さんを襲ったことは一度もない、ということでした。

食べ物を与えず、毅然と大きな声で追い払えば、襲ってくることがない上に、子熊もそれを習うから、自然と人間を襲うことがなくなっていったそうです。

何しろ、留学以来「動物」がおもしろくて仕方ないですから、こういうはなしがとっても興味深くて、目が離せなくなりました。

人間が不漁の年は、クマも魚が見つからず、飢死してしまう子熊がいたり、漁師たちのところにより接近してきたりして、緊迫します。しかし、そんな不漁のときも、人間とクマとの距離を崩さず、お互い苦しいときを乗り越えていく様子が感動的でした。

UNESCOの調査団が調査に入り、アメリカの学者さんが、この人間を襲わないヒグマの姿に驚愕して、急遽、漁師さんの番屋を訪ねることにしたのは、興味深かったです。学者の方が、アメリカではあり得ない、と漁師さんに語っていました。

決して、助け合うもの同士ではなく、同じ海の獲物を取り合って生きているもの同士、しっかりと線を引きながら、知床で生きていることをきちんと尊重している関係性は、西欧から見たら、ちょっと理解しがたいかもしれません。

日本の、それこそ、新見南吉や宮沢賢治くらいの日本の物語にある人間ー動物、人間ー自然の距離感は、西欧のそれとは違う人間観から生まれ出たものであるのと、同じことかもしれません。

漁師さんが、飢えているクマのために、岸に流れ着いたシャチの死骸が流れていかないよう、綱で縛っておいたものを、クマがやってきて食べていたのを見て、「いっぱい食べたな」と嬉しそうにしていた姿が印象的でした。

こういう日本の風景はなくなってほしくないなぁ、と思いました。

世界自然遺産は、人間の対抗軸としての「自然」ではなくて、

そこに人間も含まった「自然」としての遺産であれば、すてきです。