よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

ひるまの公園

昨日、夜の公園のことを書きましたが、今日から公園の遊具は使えなくなりました。

いつもは朝から子どもの声でいっぱいなのですが、

今日は、ちらほらとしか子どもがいません。

 

さみしいです( . _ .)・・・。

なんだか、このウイルスが人間の活動領域を覆い始めて以来、一番さびしい、と感じているかもしれません。

 

昨日の夜中、0時をすぎてから、外で

 ビリビリ ビリビリ ビリビリ

と、誰かが荷づくりでもしているような音がして、恐る恐るカーテンのすきまから見てみたら、男性が遊具にガムテープを貼っているのが見えました。

そのときは、とうとう使用禁止か~、でも夜中ブランコ乗りに来る大人がいなくなるからいいか、などと思っていましたが、昼間、子どもの声がしてこないのは、やっぱりさみしい(もはや、おばあちゃんの心境)。

 

でも、こういうときは行政の職員の方も大変ですね。

指示が出たら、その日付どおり、0時をすぎてから何かを貼りだしたり、措置をとらなければいけないんですね。

夜中の公園で、遊具に使用禁止のテープを貼っていく心境って、どんな気持ちなんだろうか・・・と思いました。これを貼って、翌日からしばらく、子どもたちが遊べなくなる、てどんな思いだろうか、と(何も思わないのが普通かもしれませんが)。

 

公園の横に住んでいると、子どもの泣き声を聞き分けられるまでになります。

聞き分ける、というのは、(あ、ウソ泣きしているな)とか、(わがまましたいんだな)とか、(あれ!どっか強く打ったかな)とか。

いいこと思いついたーーー!」なんて大きな声で叫んでいるのが聞こえてくると、なんだかこっちまで、いいことが思いつけそうな気持になったりして^-^

 

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前から同じようなことを書いてますが、人間がこうして活動を弱めていることで、救われているものもある。

タイではウミガメの赤ちゃんがたくさん産まれたり、(私の大好きな)ジュゴンが悠々と群れで泳いだり、インドでははるかなるヒマラヤの峰々が見えるようになったり。

オイル価格にマイナスがつくほど、比類ない規模でエネルギーを消費しなくなって、これくらい人間がなりを潜めると、ほかの命が助かって地球がきれいになりますが、どうしますか、経済をここまで止められないのに、どんなふうに「持続可能に」進んでいきますか、という課題の大きさを見るような気もします。

子どもたちに、このことを、どう説明できるでしょう。彼らが担うのに。

 

かこさとしさんだったら、この状況をどんなふうに見るのかな~、と、静かな公園を眺めながら、かこさんの絵本が恋しくなりました。

 

(略)僕は、子どもたちに、 自分がなんであるか、どういう生き物であるかをしっかり知っておいてほしいと思います。

自分が生きている社会をよく見つめ、観察し、より良いものに変えていってほしい。

現実が、醜く思えることもあるかもしれない。

しかし、それは今の現実に過ぎず、今をどう生きるかで未来は変えてゆけるはずなのです。

生きるということは、本当は、喜びです。

生きていくというのは、本当はとても、うんと面白いこと、楽しいことです。

もう何も信じられないと打ちひしがれていた時に、僕は、それを子どもたちから教わりました。遊びの中で、いきいきと命を充足させ、それぞれのやり方で伸びていこうとする。子どもたちの姿は、僕の生きる指針となり、生きる原動力となりました。それを頼みにして、僕は、ここまで歩いてきたのです。

だから、僕は、子どもたちには生きることをうんと喜んでほしい。

この世界に対して目を見開いて、それをきちんと理解して面白がってほしい。

 

 ― かこさとし『未来のだるまちゃんへ』(文芸春秋 2014)

 

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またいつか、もとの公園にもどりますように。

元気な声で、あふれますように。

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