よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

『ジュリアンはマーメイド』と"Julian is a Mermaid"の間

記事にできていませんでしたが、昨年応援していたJulian is a Mermaidの邦訳出版のためのクラウドファンディング

日本語版が先月、手元に届きました!!

 

表紙の字体がいいです☆

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ふたりのジュリアン(*´艸`*)

この、手をかかげてマーメイドだ!と宣言するジュリアンの素敵さを、ぜひ、多くの人に知ってもらいたいなぁ、と思います。

これはイギリスの大型書店へ行けば、LGBTと冠された棚でみつかるかもしれません。

でも、性別にかかわらず、この本は、きっと色んな人に「そのままでいい、自分を自分で宣言すればいい」という肯定感を与えてくれるはずです。

飛躍した例えで言うならば、仏様が生まれたときに叫んだという「天上天下唯我独尊」みたいなものだと思います。

そうして生まれてきたなら、それでいい

と言われて生まれてきたのだ、という肯定感を、人間はあっという間に忘れていきます。学校や社会の中でもまれたり、出来不出来を評価されたりしたりして。人間の中に勝手につくってしまった両極の間を、いつも右往左往するばかり。

自分で自分をだましているようなものです。

 

そして、翻訳者の横山さんが、結局、日本語版を世に出してくれる出版社が見つからずに、クラウドファンディングという方法を選んだ事実を、今一度、胸の深いところで考えたい一冊です。

その事実そのものが、いかに日本の児童書出版界にとって大きな恥ずべきことであるかを、よくかみしめた方がいいように思います。

イギリスでは、ちょっと前からJ.K.ローリングがトランスの女性についての発言をしたことで、ハリー・ポッターの演者陣からも批判的コメントが相次いでいるようです。とても慎重に扱わなければならないテーマであることはもちろんですが、特に欧米ではそうした発言がいかに敏感に、でも真正面から取り扱われているか、ということもよくわかります。

日本はこういった議論が全く熟していないですね。外国で発言したら袋叩きにあうような発言を平気でする政治家もまだまだいましたし。

 

「この本のための棚がない」

 

だからクラウドファンディングをして、出版はかなった。しかし、その裏にあるこの言葉に、忸怩たる思いがします。

晴れた神保町の交差点で、クラウドファンディングのチラシを持ったまま、「日本ってこんなもんだったか」と、非常にがっかりした思いを、肝に銘じて忘れないようにしたいと思います。

 

誰でもが、ジュリアンのようにまっすぐ自分自身として手をのばしていい。

そしてその手に、おばあちゃんのように"ネックレス"を手わたしてあげられるようになればいい。

それは、性別に限ったことではなく。

 

ご興味もたれた方は、サウザンブックスのホームページから購入できますので、ぜひ、チェックしてみてください。

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