今日を、7年ぶりに、海外で迎えています。
震災から1年目、
全世界へ中継された追悼式を見ながら、
涙腺が決壊したのを今でも思い出します。
あれから、
2回転職をし、
1回完全退職をして、
今、海外にいますが、
年を経るごとに、居場所を移すごとに、
自分がしようとしていることは、
どんなふうに誰かの命と生活につながるだろうか
と、問うようになりました。
1学期目のエッセイで、
(マルチリテラシーの授業でした)
震災以来発生した膨大な量の
ツイートやブログの言葉、
語り部になった方々の言葉、
デジタルストーリーテリングなどを、
「トランスリテラシー」という
新しくて古い概念から照らしてみる、
という考察を行なってみました。
私が知りたかったのは、
人はどうやって物語を語るのか、ということ。
その媒体について私はあまり興味はなくて、
使われる媒体はただ有機的に
その人の時間と場所とからんだ編み物になるだけで、
誰のどんなふうに語られたものも、
等しく、
その人の真摯な物語である、
ということ。
自分で自分の物語を語らなければいけない、
ということを、
知りたかったんだと思う。
Patrick Ness の A Monster Call の中で、
モンスターが最後に少年に課すように、
本当のことを語ること。
人生では、ときにそれが、
できたり、できなかったりする。
それをくりかえして、
年月が重なっていく。
そして今は、
こんなにも簡単に、
自分の言葉を世界の片隅に、
置いておくことができるようになった。
ところで、
体調を崩して、治ったと思った途端に、
また次から次へと大事なものが
壊れたり失くなったりしていて、
とどまることを知らないほどの不運が続いています(笑)
もう、むしろ笑うほどの怒涛の不運です。
でも気持ちは、病気が治ってから、
何が起こっても元気が一番!と思っていると
めげないものだということを知りました。
母に手紙を書いていて気がつきましたが、
大事なものの順番に無くなっていってる気がします。
健康 > パソコン > クレジットカード(T-T)。
むしろドラマチックで逆に凄いです( ̄▽ ̄;
次はたぶん折りたたみ傘が壊れそうです、、。
結構もう限界がきていて、時々開かない(笑)
折りたたみ傘も、
毎日雨がふるこちらでは生活必需品です。
でも、
元気でごはんがたべられるだけで、
いまは、こころからわらえます。
あとのことは、
まずはたいしたことではないかもしれない。