前回、ビッグベンが改修中で時計部分しか見えない、
ということを書きました。
そこでついでですが、こちらで買った絵本の中でも、
一番のお気に入りのひとつ、
The London Jungle Book (2004, Tara Booksより) のおはなしです。
(☝このタイトルの色分けは実際の本でそうなっているわけではありません。。。
なんとなくジャングルっぽくしてみただけです。)
実は、まずイギリスへ来たら買いたかったのが
このThe London Jungle Book (2004, Tara Books) でした。
絶対他にもたくさん買うべき絵本があるはずなのに。
でも、残念ながら日本語に訳されていないので、
手に入れたい場合は海外から取り寄せるしかなかったのです。
イギリス行ったら絶対買う!と決めていた1冊でした。
私が買ったのは、First Editionのこちらの表紙のものです。
Second Editionでは、この雄鶏の顔が表紙の全面にきています。
それもすごくいいな〜、と思ってかなり悩みましたが、
やはりこの雄鶏の全身とビッグベンが
両方入っている最初のバージョン を買いました。
この絵本は、ゴンドという小さな村の絵描きさんBhajju Shyamが、
ロンドンのレストランから壁面に絵をかいてくれ、
と頼まれたことをきっかけに、生まれてはじめて
インドを出てイギリスの、それも大都会のロンドンに滞在する、
その経験を絵本にしたものです。
絵を、作者であるBhajju Shyamが描き、
さらに滞在のとき感じたことなど、彼が語った言葉を、
Gita Wolf(タラ・ブックス創設者)とSirish Raoが
英語に書き起こしています。
「こころの旅」というタイトルのついたこのページ。
すてきです。
大切なことはもっと大きくかくべきだ。
ぼくたちは現実になんか興味をもっていない
― ただ心にどれほどのものが浮かんだかであって、
心の目でとらえたものを、絵にしようとするだけだ。
だからぼくは電車より大きい。
そして自分の考えを鳥のようにえがいた。
それはぼくを遠くへと、
あらゆる新しい方向へと連れて行ってくれるんだ。
これは旅の絵本です。
そして彼の絵は、インドのローカルな伝承絵画の一つ、
といえるような独特さをもっています。
それは、かわいらしい、
それこそピーター・ラビットのような
THE英国な雰囲気をもつ「イラスト」ではありません。
でも、彼がここで語っていることは、とても重要です。
この言葉に、もうひとつの子どもの本の
(というかもう、子どもも大人もなく文学の中で)
有名な言葉が思い出されます。そう、あの言葉。
“たいせつなものは、目にはみえないんだよ。心でみなくちゃ。”
わたしたちは現実を一度として正しく認識などしていない。
ただ、心の目に映るものだけが、現実であるだけ、という真実。
だから自分が電車より大きくても、何ら問題などないし、
新たに浮かんだステキな考えは、
鳥となって自分を誘ってくれる。
そんな深淵な哲学を、さらっと、とても素朴なことばで、
誰にもわかりやすく伝えています。
彼は子どもの目線と人間本来の目線でもって
絵をえがける稀有な芸術家だといってもいいのかもしれません。
だから私はこの絵本は、
堂々と絵本の歴史の一角を占めるべき
第一級の芸術作品だと思っています。
そして、表紙にも選ばれたこちらの絵☝︎
「2つの時間がであうとき」
というタイトルで、説明しています。
ゴンドの絵にとってシンボルはとても大切な役目を持っている。
時を告げる雄鶏は、ゴンドの絵画では時間の象徴である。
その雄鶏と、
ロンドンにとって時間を人々に告げるビック・ベンを一緒にした、と。
だからこれを描くのは簡単だった、と彼はいっています。
すべてのシンボルは物語だ。
何かのかわりに語っているのだ。
もしかしたら、この雄鶏の絵を、
ポストコロニアリズムから考えることもできるのかもしれません。
インドのとある村の民族芸術における時間のシンボルと、
ロンドンの象徴的な建物が一体となって、
彼を通して逆の視点から
新たに語られている、と、いってもいいかもしれない。
でも、そんな説明ではこれはあまりにステキすぎる、と、
いつもこの絵本を見るたびに考えます。
どうしたら、この雄鶏をもっと深く説明できるだろう、と。
見開き2頁の半分を占めるその豊かな尾羽が、
時間とは何か、
人間と動物と人工物と時間との関係とは何か、
ということをひそかに語ってくれているようで、
私はこの絵本を見るたびに
いつもほれぼれしつつも、
巨大な問いを前にしたような気分になります。
(長くなるので、後半にちょっとだけつづけます。)