生まれた地域、
亡くなるまでの間に使用していたスタジオと、
墓地などがあります。
検索すればたくさん紹介しているサイトが出てきますので、
私の記事よりも参考になるかと思います(爆)。
生まれた家やスタジオは、今も普通の住宅ですので、
中には入れません。
生まれたおうちの近くの公園は、
かつてよくヤンソンが遊んでいたということで、
没後10周年の2014年から
トーベ・ヤンソン公園になったそうです。
私が行ってみた時間は夕暮れ前の5時くらいで、
ちょうど近所の子どもたちが遊んでいました。
普通の、どこにでもあるような“近所の公園”ですが、
すぐ裏手のウスペンスキー寺院や、
港のおちついた空気感がただよっていました。
ウスペンスキー寺院はすばらしかったです。
(寺院内写真不可です☝)
第二次大戦中の1944年から亡くなる2001年まで、
57年間をすごしたというヤンソンのスタジオのあった建物は、
建築博物館の道をはさんだ向かい側にあります。
入口横に、このような☟プレートが埋め込まれていました。
また、建築博物館のとなりにあるデザイン博物館は、
ヤンソンが昔通った学校だったそうです。
美しい建物でした!
階段の手すりです。
タイルの格子柄とあわさって、
幾何学模様に目を奪われます。
(ちなみに、このミュージアムのすぐ横手にある文房具屋さんは、ポストカードがたくさんありました。)
そしてそして。
先週の記事でも書きましたが、
トーベ・ヤンソンのお墓を探してきました。
私はその日トゥールを散策してから墓地へ行ったので、
変な入口から墓地へ入ってしまったのです。
ヤンソンのお墓が区画の15番にあると聞いて
15番を探していたのですが、
なんと、同じ番号が2つあったのです。。。
こちらの地図☟でわかるかと思います。
同じ番号がだぶってあります。
(四角くかこった場所がヤンソン家の墓地のある方)
墓地の入り口正面の、
この☝︎小さな教会のすぐ右手の区画、
15番の8にあったのです。
(無いな~、無いな~)と
人気のない墓地を曇り空のなか探していて、
もう一度地図を見直して、
「あれ!15番がもう一つある!!」と気づいたのでした。。。
でも、長々墓地の中を歩いたおかげで、
海沿いの道の気持ちよさも味わえたし、
リスにも出会いました!🐿
(イギリスのリスよりも赤くて小柄です。)
そしてやっとお墓を見つけたときは、
なんだかグッとくるものがありました。
四角い区画の中に、
石で丸く縁取ってあったのが、
まるでひとつの世界観を象徴しているような印象を受けました。
元気な子どもの像と球体が、
「たましいは、本来こんな感じです!」
といったふうでした。
眺めているだけで、
なんだか涙が出てきそうな、
でも、とっても明るい気持ちにもさせてくれるような、
そんなお墓です。
石ころの間からはえた草がみずみずしい。
ちょっとニョロニョロに見えなくもないです(笑)。
私がじろじろとお墓を一周していると、
とても小さなセキレイのつがいがピョコピョコと
隣のお墓を歩いていて、
とてもかわいらしかったです。
“そのお墓の何がそんなにめずらしいのん?”
と思っていたのかもしれません。笑
トーベ・ヤンソンの足跡は、
まだまだ他にもあります。
こちらの記事 My Helsinki に、
ヤンソンの名言とともに総まとめになっています。
(日本語もあるウェブサイトなのですが、「トーベ・ヤンソンのヘルシンキ」の日本語ページのアドレスがみつからなかったので、英語版にリンクしています。)
中でも、こちらの言葉がすてきです。
If I could wish something good for someone, I would wish for them an island with no address.
住所のない島。
人間には、
いつもそういう島が必要なのかもしれません。
あるいは、
そういう島を自分のなかに
本当は、いつももっているのかもしれません。
そんな大切なことを、識っていたんですね。