昨日の絵本のはなしのつづきをちょっと書くと、
オリバー・ジェファーズは今、1年かけて世界一周旅行中らしいです。
もちろん、ちょこちょことお仕事しながらなのでしょうけど、家族みんなと世界のいろんなところへ旅してまわっているそうです。
すてきな人生だなぁ~(*^-^*)
そんな旅からうまれた新しい絵本をこれからも届けてほしいです☆
地球のはなしでもうひとつ思い出すのが、大好きな工藤直子さんのエッセイです。
工藤さんは、こんなことを書いています。
自分もふくめて、いろんなものが地球で生まれ育っている。そして各々、ちょこんと自分の場を占めて地球に乗っかり、地球の回転にあわせて、ごうごうと走っている。お互いの存在に気がつかなくても、なんだか一緒にごうごうと・・・。
(『出会いと物語』(岩波書店)131頁)
Here We Areは、まさにこんなふうな感覚を体感できる絵本ではないかな、と思いました。
工藤さんはもうひとつ、地球についてこんなことも書いています。
寂しくて孤独を感じる夜などは、布団の中で、
「いま、地球が抱いててくれるもんね」
と言ってみるのだそうです。
私はこれがとっても印象に残っていて、それ以来、自分も何か不安なことがあって寝つけないとき、自分が地球の上にぢかに寝ているように想像することにしています。
なにしろ人間にくらべると地球はでかい。そのでかい地球が、寝ているわたしを、しっかり支えて(これは事実だ)抱いてくれるのだ。空想の中で、地球の巨大な膝に抱かれている自分を思うと、(うまくイメージできると)驚くほどほっとする。
(226頁)
おけらりょうた君の「おやすみ」という詩には、そんな地球との心のなかでのやりとりが登場します。
すなつぶ まくらに めをつぶって
ちっちゃなこえで いったんだ
― おやすみなさい ちきゅう
そしたら おなかのしたから
しずかなこえが きこえたんだ
― あさまで だいててあげよう
一人ぼっちで、心のなかで誰かに言葉をかけてみると、どういうわけか、ちゃんと答えがやっぱり心のなかから返ってくる。自分のなかだけのこの “やまびこ” のような感覚は、誰もができることのようで、実はみんな、幼いころから培って、養って、育んできたからできる感覚なんじゃないだろうか、と、留学して子どもの本について考えているうちに、思うようになりました。
いい子どもの本には、そういう “やまびこ” が、(普通の文学よりも)たくさん、しかも高い純度でつまっているじゃないだろうか、と考えています。
心のなかで眠る前に、「ちきゅう」にそっと話しかけてみて、こんなふうに答えが心のそこからあがってきたら、それはすごく素敵なことです。
COP25はマドリードで行われているけど、眠る前に、ちょっと試しに「ちきゅう」に話しかけてみることは、“地球のどこからでも” できます。
「大丈夫かい?」とか、
「暑いね」とか「寒いね」とか、
「最近どう?」とか。
そうしたらたぶん、私たちはまず、「ごめんね」と「ありがとう」を言わなくちゃいけないことも、自ずとわかってくるような気がします。
東京の猛暑によってマラソンと競歩が札幌にうつってしまったことは、衝撃でしたが、 この殺人的暑さは、次第にそうして自分たちの活動も狭めていってしまうことになる、という現実を突きつけられたようにも思いました。
だって、東京ほんとうに暑いもん。。。
緑がないもん。
私の住んでいる周辺では、ここ2,3年で宅地がどんどん建て変えられています。
そのたびに無くなっていくのは、「庭」です。敷地いっぱいにコンクリートをしいてしまうと、「土」のスペースがなくなります。
地元の町でも古い家はどんどん駐車場になって、アスファルトだらけ。
わが家はアスファルトの中に浮かぶ島のように庭を残しているので、年を重ねるごとに、夏のセミの声がすさまじくなっているような気がします。つまり、冬のあいだに潜りこむ土が、うちしかないから、セミがみんな《あそこんち、土残ってたぜ》と、寄ってくるようなのです。笑。
「土」のスペースとはつまり、「ちきゅう」のスペースであって、地球と生きものの呼吸するスペースがあるということじゃないかな、と、コンクリート/アスファルト化していく地面を見ながら思います。
「土」を残しておくのはめんどうくさいです。雑草が生えるし、虫がくるし、雨でぐちゃぐちゃになります。でもそれが、別の生きものといきていく証です。ほかの生きものと生きていくのは、わずらわしいです。めんどうくさいです。
でも、楽しいことでもあります。
工藤直子さんの詩を読んでいると、そういう「いぶき」が薫ってきます。
化石賞をもらった日本は、やっぱりこのままガラパゴス化を加速させるんでしょうか。
それとも、いつか、真夏の8月に堂々と東京でマラソンができる日が来るのでしょうか。
願わくば、工藤直子さんの詩に登場する生きものたちが、少しでも多く、少しでも長く、人間と一緒に地球の上で生きてくれたらいいな、と思います。
子どもたちが直子さんの詩を読むとき、絶滅危惧種になっていなければいいな、と、そんな焦燥感すら感じる年末です。