前回からの続きです。
(以下、結末ですのでラストを知りたくない、という方はご注意を。・・・まぁ、前回まででもう95%くらいのあらすじは書いちゃってますが(^-^;))
物語のエピローグは、こんなふうにはじまります。
エリザは、おばあちゃんとお母さんと、アメリカ人の研究者とともにボートに乗ってアルダブラ環礁を目指しています。
このアランという研究者に手紙を書いて相談したエリザは、それから連絡を取り合って、ついに、おばあちゃんを”故郷”のアルダブラへとかえす方法にこぎつけたのです。
おばあちゃんを見て、「これは見事なアルダブラゾウガメのオスだ」と言ったアランに、エリザは、メスだと訂正をしますが、おばあちゃんは、私はこれまで何度もシェイクスピアの中の男役もやってきたわ、と誇らしげです。
今やアルダブラゾウガメのメスであるおばあちゃんを、アルダブラ環礁へつれていく、ということは、エリザとお母さんにとって、それがおばあちゃんとのお別れであることも意味しています。
エリザは、
(おばあちゃんがこの先シェイクスピアを演じたって、誰がそれを聞くの。)
(おばあちゃんは、人間であったことを最後には忘れる。)
(そしておばあちゃんは、わたしたちのことも忘れてしまう。でも、絶対わたしたちはおばあちゃんのことを忘れないよ。)
と思います。
アルダブラにちかづいていくエリザたちの前方に、真っ青な空が広がり、その真ん中に、みどり色をしたハート型が浮かびあがっているのが見えてきます。
アルダブラ環礁の色が空に反射している珍しい現象でした。
ゾウガメのメスとなったおばあちゃんも、首をのばして、その緑に輝く島をまぶしそうに眺める。
・・・ここで物語はおしまい。
おばあちゃんの希望にそうように、アルダブラへつれていきながらも、お別れを想うエリザの心情の切なさが、みどり色に光り輝いて浮かぶアルダブラ環礁を目前にして、あざやかに心いっぱいにせりあがってくる幕引きです。
まるで一緒にボートに乗って、インド洋のあたたかい風すら感じられるようなエピローグに、しばし、その余韻からはなれることができなくなります。
アルダブラゾウガメといったユニークな材料が、シェイクスピアの不動の芸術性の光沢とあいまって、水の都のベネチアに、妙に合ってしまう。おばあちゃんがカメになる、という突拍子もないプロットが、不可思議でありながら、このおばあちゃんに最適な最後だ、と納得がいくところがまた、おもしろいです。
シェイクスピアを愛し、絵を描き続けた、かっこいいおばあちゃんには、世界でもとても稀少で長生きなゾウガメは、変身するにはぴったりの動物、と思わされます。
少しずつ精神の調子を崩してきたおばあちゃん、
そしてカメになるおばあちゃん、
アルダブラを恋しがるカメのおばあちゃん。
その過程は、人間の老いていくさまを、人間よりも長生きするカメというモチーフを使って、どこかユーモラスに描いています。
ですが、お別れはお別れです。
おばあちゃんはアルダブラで生きる決意をする。
それは別の世界への旅立ちであり、直接的ではない「死」の別の描き方でもある、といえます。
そこから先の時間は、カメの寿命のように果てしなく、人間の及ぶところではない。そんな入口を、真っ青な空に浮かぶアルダブラ環礁の鮮やかさが示しているようにも思われます。
そのさわやかさ、やわらかさにも関わらず、本を閉じてから、たまらない切なさに、涙がぽろぽろ出てきます。
人とお別れをすることは、誰かとあらためて出逢うことでもある。
そしてそれは、また自分との新しい出会いにもなる。
そんな人生の大切なひとときを与えてくれる物語。
日本では、『亀になったおばあさん』というタイトルで2003年に世界文化社から出ているみたいです。
おばあちゃん好きの方にはたぶん泣ける1冊だと思います。