4月2日。今日はアンデルセンの誕生日🎂
なのに、世界は今日も次々と明るくはないニュースが飛び交う。
近くにある公園の桜が、まだまだきれいに咲いていて、あらためて、桜は賢い木だなぁ、と思いました。早めに咲き出したときは、ゆっくり満開になり、ゆっくり散っていくのですね。開花からもう10日以上は経っているのに、風雨に負けずにまだ花がついているのを見て、すっかり感心してしまいました。
こんなに世界は大混乱なのに、と思って眺めていると、ふと、思いました。
何となく、桜の木に
「何を今年はそんなに人間はあたふたしている?」と言われたような気がしたのです。
人間が今年は木の下で騒がないから、ゆっくり咲いていよう、とでも思っているかのように、本当にみやびやかに、風にゆられています。
そこで、あぁそうか、と思いました。
今、「戦争」「第二次世界大戦以来の国難」と言われている状況が、地球上を覆っているけれど、この星の上であたふたし始めた '生物' は、人類であって、ネコもイヌも元気にお散歩の時間を待っているし、桜は咲くし、散れば葉を広げ始めて、次の季節へと進んでいる。
外出制限のおかげで、ベネチアの水がきれいに澄んでいる、とか、北京の空気がきれいになった、とか言われていますが、実は、地球にとっては、ちょっとほっとしている部分もあるのではないだろうか。
かといって、私たちには、大変な危機ではあります。
そんなことを考えながら、桜を見ていて、金子みすゞの「大漁」が思い浮かびました。
浜は祭りのようだけど
海の中では何万の
いわしの弔いするだろう
というあの一節が、初めて読んだときから忘れられないです。
衝撃的な視点の逆回転でした。確かに、ものを食い、生きている以上、いつも何かほかの生物の命をもらっている。でも、そのことを、こんなふうに「弔う」という感覚で考えたことはありませんでした。
地球上の、レッドリスト登録された生物たちからすれば、動物からうつってきたウイルスであたふたしている人間なんぞ、「何をいまさら」「何が戦争だい」と思っているかもしれないです。「毎年生き残ることが戦争だよ」と、言いたいシロクマもいるかもしれません。
そうはいっても、私たちには大きな試練です。
金子みすゞの人生は、きれいな詩をたくさん残したことと、結婚生活の悲惨さが対照的で、光と影の真っ二つに引き裂かれていたんだな、と思います。夫にうつされた淋病に苦しみ、そして最後自ら死を選ぶ結末なんて、彼女の詩を思うと、「聖と俗」の強烈な対比のように見えます。
アンダーグラウンドでの蔓延が懸念されているウイルスは、かなり戦略的な作戦を立てて、蔓延しやすい場所を狙って潜り込んできたかのようです。
いろんな世界のありさまをあぶりだすウイルスですね。目には見えないけど。
そんな一節もありました。
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ
ひとつひとつの災害のたびに、心から願うことは、ほんの少しだけでも、災害の前よりも、やさしくなっていたい、ということです。
災害のたびに、人やいのちへのやさしさを蓄えたいなぁ、と思います。
世界がちょっとだけ、そのたびに、やさしい方へ進めばいいのに、と思います。
みすゞのきらきら光る詩のみなもとの方へと、そのたびに、向かえたらいいです。
今日はアンデルセンの誕生日でしたが、今月11日は金子みすゞの誕生日です。
外出自粛の今こそ、本を読も~。