よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

nothing but teeth:『嘘の木』by フランシス・ハーディング

"Choose a lie that others wish to believe."

  ――フランシス・ハーディング『嘘の木』

ある情報が嘘か本当か、どこから出てきたものなのか、これほど分からなくなったのはどうしてだろう。

あるいは、ずっと前から人間は噂も嘘も大好きだっただけで、“SNS時代”に突入したことで、その性質が如実に表れるのを目の当たりにしているだけなのだろうか。

ただ一つ確かなことは、嘘の出どころは必ず人間であるということだ。そして、それを信じ込むのも人間であるということだ。当たり前なはなしだけど。

人間が月のようなものだとしたら、嘘はその裏側に根差していることは確かだ。

どこか奥深くに隠し込んでいる罪悪感や劣等感や妬みや言い訳が誰の中にもあって、嘘は巧にそうした奥深く、洞窟の奥の奥にある黒い血流みたいなものと、繋がることができるのかもしれない。

隠し込んでいることを、自分が一番、知りたくないから。

人は嘘にしがみつく。たとえそれが、目の前で嘘だと証明されても。だれかが真実をみせようとしても、反発し、全力で抗おうとする。

(児玉敦子訳、東京創元社) 

人が最も頻繁に嘘をついている相手は、自分自身だ。 

 

 

フェイス(Faith)の一家は、考古学者の父親の発掘作業の関係で小さな島へと移ってきた。

しかしフェイスは薄々勘付く。父に関するよからぬ評判がロンドンで立ってしまったことを。

でも、そんなはずない。父が、こんなに立派な父が、いつも尊敬してきた父が、間違っているわけがない。

フェイスにとって憧れの父。浜辺で一緒に化石を探して、化石を見つけたフェイスをほめてくれた父。そしてそのことで、父とフェイスは新聞にも載ったじゃないか。

自分も、もしかすると父のような考古学者になれるんじゃないか。図書室の父の本を読んで、そこらへんの大人に話を合わせられるくらいの知識は持っている。

 

しかし時代設定は、ダーウィンの進化論が世間を揺らがせているイギリス。進化論で学術界が激震を受けている時代。

女性の権利は制限されたものだった。娘より息子でなければ託せないことが多かった。島に住むただ一人の医師は、人の頭蓋骨の大きさを計測するのが趣味で、女性の頭蓋骨が小さいことはそのまま知性にも関係すると豪語する(しかしフェイスの頭蓋骨は決して小さくない!)。

フェイスは父の関心が自分には向いていないことに、いつも心を痛めていた。これだけ尊敬している父に、認めてもらいたかった。

 

フェイスと弟が見つけたという洞窟へとフェイスに案内するように父から言われたとき、フェイスは何にせよ、父の助けになりたいと思っていた。

父親は布をかぶせて大切にしまっていた植物を洞窟の奥に隠したあと、フェイスを一人家へ帰らせ、夜の闇の中へと消えてしまい、翌朝、遺体が発見される。

ルールは破られるごとに、音のない音をたてる。

父が大切にしていた木、嘘の木は、広めた嘘の分だけ、それと引き換えに、知りたいと願う真実を教えてくれる不思議な木だ。

父の知りたかった真実、それは人間は神によって玉座に座らせてもらっているこの世の王ではなく、もともと、サルだったのか、ということ。人間はあらゆる生物の進化の延長にある動物にすぎないのか、ということ。

“People were animals, and animals were nothing but teeth. You bit first, and you bit often. That was the only way to survive.”

残念ながら、父は真実を知った。

嘘の木の実を食べて、幻影の中で、人間の本当の姿を見た。

しかしどうだろう。嘘の犠牲は父からあらゆる権威を奪い去り、たった一つの真実と引き換えに、彼の言うことなど、もはや誰も信じないどころか馬鹿にされ蔑ろにされる現実が広がっているだけだった。

問いは本質的に共同の問い、

 人間の問いである。

 そうしてかかるものとして問いは

 人間の存在の仕方なのである。

和辻哲郎『人間の学としての倫理学』より)

もしも、フェイスの父親がこの考え方を知っていたら、嘘をばらまいた対価として真実を知ったとしても、その真実を自分が語り得ないという矛盾に、すぐに気づいただろう。

嘘がつくり変えるのは、現実ではなく、自分の周囲の関係性なのだ。

やがて自分がどんなに素晴らしく、どんなに輝くような真実を知ったところで、歪んでしまった関係性からは捻じれた言葉しか届かなくなってしまう。

嘘をついた分だけ、人間は自分自身から遠のいていく。

フェイスの父親の評判も生活も死の真相も、嘘の木の枝さながらに捻じれてしまった。

 

それでも、フェイスも知りたかった。真実を。

誰が父を殺したのかを。

自殺が大罪とされ、教会の墓地に埋葬されることが許されなかった時代に、どうしても父は自殺していない、と証明しなくてはいけない。

フェイスは勇気をもって、その捻じれた父親の像と向き合い、真実へとなだれ込んでいく。

――お前が賢いことを証明してくれ

事実、フェイスは大人以上に賢く、作戦のために必要な仲間を見つけ、巧みに自分に協力させる術を知っている。

そして何より、嘘の作り方に長けている。

「″秘密„は、人がすでに心の奥底でそうではないかと考えていたことにすぎないのかも」

フェイスにも、嘘の代償だけの危険が襲いかかってくるが、最終的に、フェイスはもうひとつ別の真実も知ることができる。

女にも道があるかもしれない、ということ。

それぞれの女は決して一様ではない、ということ。

フェイスがいつか世の中の常識から一歩外へ出て、フェイスの道を見出していくこと、それが、ダーウィンの進化論もかなわない進化になる。ということを。

 

虚構の中でなければ世界を認識し得ない人間にとって、嘘は実に魅力的で、実に人間的だ。

でも、私は、フェイスの父親が知りたがった進化論の真実は、結果的に仕事と命を代償にするほど価値のある真実には思えなかった。本当の真実は、証拠の無いところにあるものだと思うから。

そしてフェイスは、そんなものに頼らなくてもバシバシ新発見をしてゆくような、有能な女流研究者になるんじゃないかと思う。

だって結局、最も楽しい工程は自分で真実を探しだす道のりであって、それを簡単に何かに譲りたくはないだろうから。

 

嘘の木の実、

あなたなら、

どんな真実が知りたくて、

そしてそのためにどんな嘘を

どこに向かってばら撒きますか。

それはその代償に足るほどの真実ですか。