よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

『動物よもやまばなし』

動物の本を手に取りたくて、最近ときどきあべ弘士さんの絵本を開いたりしています。

 

図書館で借りてきたこちらの本、北海道新聞の生活欄にあべさんが連載していた旭山動物園の動物たちの記録などをまとめたものでした。

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この間、すいているこの時期だからこそ上野にシャンシャンを見に行こうかな、と思ったら、上野動物園は感染拡大を受けてしばらく閉園とのことでした。

動物園にもとんと行っていません。

動物って人間と比べて、それぞれブレようがなくて、自分の能力の最大限、そして自分が選択した進化の道を全うするしかないところが、人間よりも潔いよね、と最近思います。

敵と争わずに「他の種族の食べていない一種類の食べものでやってこう、僕ら!」と決めた動物もいれば、「争ってなんぼ、サバイバルこそ地球に生きる醍醐味っしょ」とサバンナを疾駆する動物たちもいる。

ヒョウが実はあんなに悠々とした日々を送っていたなんて、確かに私も、あべさんに同意です。でも、ヒョウはヒョウで、次の狩りのためにも休めるときにしっかり休んで、獲物を200%くらいの全速力で追ってんのよ、こっちは、というご意見があるのかもしれません。

みんなそれぞれの力で、そしてそれぞれの環境で、それぞれに選択をくりかえして生きておる、というのは地球上で平等なんですね。そして、その選択が故にひきうけるものは、必ずあるんだなぁ、なんて思います。

一種類しか食べねぇ、他の動物と食性を争わねぇ、と決めた動物だって、その一種類が無くなったら自分も一緒に消えていくハイリスクを選んだ、ということでもあると思います。

 

たぶん、わたしたちも仕事を選んだり、何かを選択したり、こっち行きたいな、と思うとき、ひとつあるのは、「この力を信じよう」みたいな思いかもしれないな、と思いました。

食べものの力を知っている人は、それで人を喜ばそう、とか、子どもの本の力を知っている人は、その力に魅せられるわけで。昔知り合いに、土木の道に進んだ方が理由を教えて下さって、自分の家の前の道がせまくて救急車が通れなかったためにお身内が亡くなるという経験があったそうです。その後、道幅拡張の工事を目にして、道をつくれるのっていいなぁ、と思ったそうです。すごくすてきなはなしでした。

選択、というものの向こう側に、何かの力を信じる、という思いがあるんだなぁと思いました。

 

あとがきの最後に、冬の北海道の森を眺めつつ、あべさんは

アトリエの窓の外の川も、森も静かだ。じっとしているようだ。

でもきっと、猫をかぶって、生命(いのち)たちは、”爪”を研いでいることだろう。

としめくくっておられます。

厳しい冬ののりこえ方も、動物はよく知っているんですね。