よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

ものすごく静かで、ありえないほど遠い

Sometimes I can hear my bones straining under the weight of all the lives I'm not living.

   —Extremely Loud, and Incredibly Close  by Jonathan Safran Foer

 

この本が出たのって、だいぶ前なのに、開けばそこには終わらない喪失があって、ぱっくり口を開けたまま、いつまでもいつまでもその喪失の瞬間を繰り返しているようなところがある。

オスカーが、怒涛の如くしゃべって考えるほど、その瞬間は永遠に開かれたまま、閉じることはないんだと伝えているように思える。

"I regret that it takes a life to learn how to live."

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宝飾業を営んでいたお父さんを9.11で亡くした少年オスカーは、遺品の中から見つかったメモを手がかりに、ニューヨーク中のブラックさんを訪ねて歩く。

ものすごく効率の悪い方法で、AからZまでのブラックさんを訪ねて歩く。

途中で同じアパートに住む老人のブラックさんと出逢ってからは、2人で訪ね歩く。

オスカーの見えている視界は、オスカーにしか見えないし、おばあちゃんにはおばあちゃんの物語があり、ヘタレなおじいちゃんにはヘタレなりのおじいちゃんの論理がある。たぶん、お母さんにも、ある。

それぞれの視界はなかなか重なり合わなくて、ありえないほど近い人たちとの距離は、オスカーがブラックさんを訪ね歩きながらも、なかなか縮まっていかない。

だけど、みんなものすごくオスカーを愛している。

ものすごく、なんていう副詞では追いつかない複雑さと深さで愛している。

やっぱり人間のひとりひとりは惑星みたいなもので、お互いの重力や磁力の影響をありえないほど受けながら、くるくると回りつづけているんだろうと思う。その時空間の中心でオスカーは愛情を向けられながらも、今、目の前に空いた巨大な愛情の痕跡を、追わずにはいられない。

It's the tragedy of loving,

you can't love anything more than something you miss.  

彼は、喪失があけた沈黙のぶんだけ、ひたすらしゃべりつづける。

たくさんの問いをまわりの大人に投げかけながら、最後のお父さんのメッセージに答えられなかったことを、誰にも言えないままでいる。

それはちょうど、遺体の入っていない空っぽのお棺を墓地に埋めたように、空っぽのままの真っ暗闇が今もそこに埋まっている。

I kept thinking about how they were all the names of dead people, and how names are basically the only thing that dead people keep.

もしもその傷が閉じないのなら閉じないまま、閉じないままのオスカーといっしょに、オスカーの毎日をすごし、オスカーの怒涛のような言葉をひとつひとつ読むしかない。それをつぶさに読むしかない。そのひとつひとつに、時々、傷がかくされていることを見つけては、いっしょに痛むしかない。

それは悼むのではなくて、文字通り、痛むのだということを知るしかない。

巨大な空洞は、日常のなかにこそ空く。

少年は勇敢にもその傷口を、自分で自分につきつける。ブラックさんを探しつづける。時にタンバリンをかき鳴らしつつ、時にホーキンス博士に手紙を出しつつ、いつも頭の中でさまざまなものを発明しつつ、自分の家を、アパートを出て、ニューヨーク中を歩き回り、呼び鈴を押しつづける。

"So many people enter and leave your life! Hundreds of thousands of people! You have to keep the door open so they can come in!

But it also means you have to let them go!"

ある日突然出て行ったおじいちゃんとの遠い距離と喪失を長い間抱えていたおばあちゃんと、今そしてこれから、喪失を抱えるお母さん。みんな少しずつ違うかなしみを抱える中で、オスカーに寄り添う老人のブラックさんは、誰よりもやさしい。

でも、やがてブラックさんとも別れる日がくる。

オスカーの訪ね歩きが終わるときがくる。

お父さんがメモをしたブラックにたどりつくときがくる。

おじいちゃんは帰ってくる。

たとえそれが真っ暗な棺の中だとしても、書きつづけてきた手紙を孫と埋める日がくる。

日常から消えてしまった人の、背中を見るときはくる。

 

誰かに愛情をもらっているとき、いつもそれは自分の背中に感じるばかりで、愛している側は、愛している者の背中を見つめてるばかりだ。

思い出す姿は、背中が光ってばかりだ。

子どもは大人の背中ばかり見ていて、大人は走っていく子どもの背中ばかり見送っている。

(だから、時々メインストリームの文学に現れる子どもの主人公は、大人では体現できない何かで、その中心は子どもの文学の中心と、どんなふうに遠心力を分かち合っているんだろう、などと考えたりする。)

"Parents are always more knowledgeable than their children, 

and children are always smarter than thier parents."

いつか最後には希望が見えるんだろう、とか、いつか最後にはオスカーの傷は癒えるはずだ、とか、いつかそれまでの無数の喪失を乗り越えられるはずだ、とか、そんな浅はかな希望のまま、最後の最後まで来てしまう自分では、どうにもならない。

地面と空を逆さまにしたら、時間を遡ることができるだろうか。過去をまきもどすことはできるだろうか。

でもきっと、聡明なオスカーなら、この世界は不可逆であることに最大の意義をもっていると、いつか識ると思う。

In the end, everyone loses everyone.

There was no invention to get around that, 

and so I felt, that night, like the turtle that everything else in the universe was on top of.

そこにぽっかり空いた空洞こそ自分が誰かと一緒に生きていた証なのだとしたら、それもろとも、くずれおちるほど抱きしめるしかない。

そしてそれでも、今日もまた出逢うかもしれない誰かにドアを開けておくしかない。

"My life story is the story of everyone I've ever met."

祈りの言葉というものが、虚空にむかって投げられるものだとするなら、目の前にたちはだかる時間に、ものすごく無力な人間として、それでも祈らずにいられないものを、投げるしかない。

その自分の腕力を信じることはできる。

 

 

Gravity isn't only what makes us fall,

it's what makes our muscles strong.