よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

とりかへばや、自己と他者

日本に'長期滞在'している日数を順調に更新している日々。

ときどき、知らないうちに恐ろしく理解できなくなったこの国の貌を見たりしては(やっぱりまたここを脱出したくなる日は来るかもな)と思ったりしています。

ひとつ(だけ?ではないけど)楽しんでいることがあるとすると、テレビのドラマをワンクールちゃんと見届けられることです。ここ数年はちゃんと見ようとしないとドラマを全部ちゃんと見られなかったので、そもそも見ていませんでした。そして週末の、あの、刑事と犯人が入れ替わっちゃったドラマ、途中で見始めたらおもしろくて続けて見てしまってます。

入れ替わり、て、物語としてはよくあるし、特に男女の入れ替わり、てよくある。

そのへんのことを考察してる河合隼雄さんの『とりかへばや、男と女』とかもある。

でも、ドラマではそれに加えて、正義/不正義とか善/悪を逆側からふりかえって見るという設定がとっても面白いです^^

あれを見ていて設定は全く違うけれど、フランシス・ハーディングの『影を呑んだ少女』を思い出しました。

 

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『影を呑んだ少女』は、自分と他者が入れ替わってしまうんじゃなくて、他人の、しかも死んだ人間の霊魂が自分の頭の中に入ってしまう少女(メイクピース)の物語です。

とにかく、霊魂とはいえ他人が頭の中にいるとやかましくてしょうがない(笑)。

他人が自分の目や耳を通して外界を見ながら、横からやんややんやと言ってくる。

人間二人だって難しいけれど、最小単位の自分一人の頭の中でだって本来、和平はなかなか成立しない。

呑みこんだ他者が、敵なのか味方なのかすら判別できない。

場合によっては、入ってしまった霊魂に負けて自分が逆に頭の中から消えてしまうこともある。生きている人間を単なる「容器」のように扱って、霊魂として他人を頭の中から操りながら、一族の繁栄だけを絶対的な価値としてとどめてきた悍ましい霊魂たち。

われわれはけっして変わらない。恐ろし気な灰色の壁がいう。ほんとうに変わることなどなにもない。なぜなら、だいじなのはわれらだけなのだから。われらは世界の海の真ん中にある大きな岩だ。ほかの者たちの行いなど、まわりを流れては砕け散るだけ。われわれこそが永遠なのだ。

死者の霊魂を頭の中に棲まわせていくたびに、メイクピースは死者がもっていた能力、経験値、知識といったものも同時に獲得していく。いわば、場面場面で霊魂を呑みこむことでメイクピースは若干のバージョンアップをしていき、それによって次のハードルを越えていくことができる。

しかもメイクピースが飲み込むのは、人間だけではない。

ここが、この本の中で最大のポイントだと思う。

このあたりが、うまくつくるよなぁ、やっぱりこの作家はおもしろいなぁ、と思う。

 

自分の中には無数の他者がいる。

自分自身だけのオリジナルな考えなんて存在しないし、そもそも自分自身なんていうものは探すほどの確たるもんじゃない、みたいなことは、全然ある。

外に向って「私は」と言うときの、「私」なんていうのは実に当てにならない。

時とともに石畳にもぐりこんだ木の根のように、習慣、場所、人の顔が自分のなかに入りこんでいたのだ。 

だけれど、このおかげで共同体というのは成り立っていけているところがあるとも言える。共同体としての言葉がなければ、他人を理解する基盤を失うことになるし、共通の価値と理念を創造する場所も失くしてしまう。ルールがルールとして浸透しているのは、共通認識という目に見えないものを頼りに成り立っている。

だから、それぞれの頭の中が元来すべて別世界であることに気がつかないまま、実はとうに世界は破綻している、という場合もあったりする。

世界は横に回転しているんだ、とメイクピースは気がついた。

もうだれも、どっちが上なのかわからなくなっている。規則は壊れているのに、どれが壊れたかもわかっていない。 

混沌としていくメイクピースの頭の中と、舞台である17世紀イギリスの内乱が重なりあって、頭の内と外でも敵味方の入り乱れた戦いが繰り広げられていく。

いったいそんな世界に、和平はどうやって創れるもんなのかね、というクエスチョンに、メイクピースは「行きずりの霊魂」を呑みこむ勇気をもって力強く立ち向かっていく。

古い壁を壊して次の世界への穴を開けるのは、自分の中の得体の知れない他者を信じ直す行為からだったりする。

自分の中にいるたくさんの他者をいかに抱きしめられるかが、世界に穴を開けられるか否かの資質に関わっていることを、メイクピースの頭の中は具現している。

自分が信じている価値がただの幻想なのかそうではないのか、自分がいる世界を「世界の海の真ん中にある大きな岩」か何かと勘違いしていたのではないか。

そんな「灰色の壁」をぶち壊してくれるのは、やっぱり結局、他者しかいない。

 

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ところで、入れ替わりの物語はいつも「意識」だけが入れ替わることになっているけれど、本当の本当に入れ替わったら、肉体が覚えてることはたくさんあるんじゃないかなぁ、と思っています。

意識だけ入れ替わって他人になって生活してみる、という空想は面白いけれど、実際は入れ替わった身体が「持ち主」だった人間のことをいろいろと教えてくれるんじゃないかなぁ、て。

今ここで生きていることはこの身体があって初めてスタートしたわけで、頭に入っているものだけが、自分のすべてではないよなぁ、と思うわけです。