よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

はい、好きです。(笑)

人間というものは、人間が好きでしょう。(笑)

  ――司馬遼太郎 『司馬遼太郎対談集 日本語と日本人』より

 

久しぶりに、司馬さんの本を読んだ。

いやぁ、やっぱりおもしろかった!

なつかしの語り口に、何だか読んでる自分の細胞が喜んでるのがわかる(笑)くらいおもしろかった。

司馬さんの本は、高校生のときに『竜馬がゆく』にはまり、その後『この国のかたち』を読み、あとは対談集を断片的に読んだくらいで、ぱったりと読まないままだった。

たぶん、読もうとするとひとつのシリーズが長くて、読み終わるまで人生の一時期を共にすごすのだ!みたいな覚悟が必要だと思っているからかもしれない。読んでいる間、とにかく頭がその時代になってしまう、ということも覚悟が要る一要素かもしれない。

今回読んだのは『木曜島の夜会』で、当初は一冊全部、木曜島のはなしなのかと思っていたら、ほかに短編三篇が収録されていた。そして「木曜島の夜会」よりそっちがおもしろかった。得した気分(笑)。

司馬さんの歴史小説というと、英雄や傑物、その人にしかできないことにぶつかっていったことで、歴史の一部分がその後の時代へと動き出していった人物が描かれてきたけれど、ここに収録されていた「有隣は悪形にて」と「大楽源太郎の生死」は、そんな傑物の横で「第二の○○」になろうとしたり、自分の方がよほどの人物だと思っていた人を描いている。

これは、大学で特別講義に来てくれた先生から聞いたはなしだが、司馬さんは歴史上の人物とはいえ、その子孫にあたる方たちが不快な思いをしないようにということを執筆に際して注意していたらしく、とても気遣いの人だったとおっしゃっていた。

「綿密」という言葉の本来の綿密さを100倍濃縮したくらいの綿密さでその人物の周辺を調べ上げていた司馬さんにとっては、歴史は今でもすぐそこで息づいて痕跡を残して語りかけてくるものだったからこそ、子孫にあたる方たちへの気遣い、ということがあったのだろうと思う。

そんな司馬さんが、いうなれば・・・

へたれ、へっぽこ、俗物、二流三流、ちっちゃいヤツ的な人物に迫っているのがおもしろかった。

英雄の人物像以上におもしろかった。

人格的にも能力的にも日本史上に燦然と輝く英傑がごろごろしていた幕末の時代に生まれてしまわなければ、そうした非凡人と凡人たる自分を比較せずに済んでいたのかもしれない。

司馬さんは書く;

「大楽は不運であった。かれの不運はもともとうまれる時期を間違えたことであった。(略)かれの生きた時代は政略の才能を必要とし、さらには口舌より行動の時代であり、行動にはかならず生死がつきまとった。」(218頁)

ちょっと時代が違えばこんなことにはならなかったのに・・・と思えたとしても、それもまたそのこと自体がその人がその時代に生まれた何らかの意味だと思うしかない。

何がおもしろいって、今の時代から見れば、

逆にこういう人物、一般社会にごろごろしてるよ・・・( ̄ー ̄)

と思うところだ。

口を開けば人の悪口を吹聴することを人格破綻者とされて、終身刑という名の「社会的隔離」が取られていた江戸末期の日本の倫理的潔癖さに何よりも驚嘆する。

このときの道徳性に照らしたら、現代では刑務所がいくつあっても足りないだろう。ましてやSNSで誹謗中傷なんて、「おのれ卑劣さの極み!」とか言われて片っ端からひっとらえられるだろう。

司馬さんはそんな人間のいやらしさとかどうしようもなさを、その「100倍濃縮」の綿密さで見つめ倒している。

 

だからといって、司馬さんの見つめるまなざしは決して冷徹なのでない。

どんな人物を見つめていても、人間はおもしろい、人間は人間が好きだ、という愛情を一番奥に揺るがない定点として据えて、正しいはずだったものが崩れ去って次の時代のための最適解を命を賭けて探した人たちの姿を見ていたんだなぁ、とあらためて思った。

現代人として、ほんの3~5世代前には明治、江戸生まれがいたことを思えば、近代国家を切り拓いた時代の肖像を私たちが「物語」として持って生きていくために、司馬さんという作家がいてくれたことは、吉田松陰坂本龍馬西郷隆盛やらが日本にあのとき生まれてくれたことと同じくらい感謝してしかるべしだと思う。

幕末もすごいけど、司馬さんもすごい。と思う。

 

自分だって幕末という舞台設定に生まれていたら、京都市内の逃げ惑う「町人A」くらいの役だったかもしれないし、京都の「町人A」ならまだ端役としていい方で、あるいは「ハイハンチケン?それは食えるんか?」くらいに歴史が動いたことも知らないまま畑を耕しつづけた「村人X」くらいなものだったかもしれない。

あんな時代に生まれたがために、時代を切り開いた天才の横にいたがために、横にいるのが天才と見抜く目も持てないまま相変わらず権威を崇め続けたり、切腹しきれず逃げ回って体内に巣食った自己嫌悪の膿に耐えられず罪もない人を暗殺した挙句、自分も暗殺されたりして人生を終えた人が、後にこれまた「天才」によってその生涯を短編に仕立てあげられたと知ったらどう思うのだろう・・・。

彼らなら悦に入って「やっぱりおれの人生は一篇の短編くらいの価値はあったではないか、がはははは~」くらいには愉快に思うのだろうか・・・。

彼らが不遜なままに人生を閉じた理由、同じ時代に生きながら英雄の仲間入りができなかった理由は、能力ではない、ということを司馬さんは見抜いている。では果たして欠けていたものは何だったのか。

 

ちなみに、冒頭の引用のつづきで、司馬さんはこんなことを語っていた。

とくに精神がえきえきとして光っているような人間に出くわすと、どうしてもその人の磁場の中に月に一度でも入っていたい気がする。(略)

短詩型というのはサロン芸術だといわれますが、僕もそうだと思います。

しかし人格もしくは精神像として磁場を作れない人は、やはり師匠になってはいけませんな。