よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

全身打撲

6月の未曾有の猛暑のなか、

だるすぎてネットサーフィンをしていたとき、

天気予報の温度分布ページを開いたらこんな地図が出て来た☟

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なんかもう、日本列島が、関東を中心に打撲したみたいになってて、

痛そうだね、日本列島、

つらそうだね、日本列島、

と思わずにはいられなかった。

フルラウンド戦ったあとみたいな満身創痍感のある画像だったので、

思わず写真に撮ってしまった。

 

世の中は、確実に着実に、世紀末感、dystopia感がましましだ。

ギリギリと蓋をしていた重い石が砕けたことで、堰を切ったように濁流と膿が流れ始めているけれど、果たしてこのパンドラの箱には希望が残されてあるだろうか。

SNS時代に、自分のほしい情報、自分の信じたいものばかり偏食する一方で、ネットやSNSの非利用者の情報もまた、いまや極度に狭い。

まさにそれぞれは別世界の住人でしかない。

 

だから、誰かの言葉を聴かなければならないのであり、

誰かに自分の考えを述べられるだけの言葉の練習をしなければならないのであり、

誰かに投げかけられた問いに、答えなければならないし、

誰かと言葉を交わし続けなければならない。

自分から、出ていかないといけない。

そのために、本来なら、あなたの目の前に他者はいる。

 

本来ならば。

 

言葉は腕力に勝つ。

戦争は停戦交渉を繰返して、「やめにするか」という言葉をもってしか、終わらない。

人とお金と弾丸を注ぎこんでいるうちは、始まった戦争は止められない。

言葉は腕力に勝つ。

それをよく知り、駆使する「技術」を知った者は、

狐のライネケのように、ライオンもオオカミも怖くもなんともないのだろう。

The Load of the Ringsの指輪を手に入れたような気分になるのかな。

 

腕力よりも強い言説に飲み込まれないようにするためには、

自分の中により強い言葉を貯蓄していくしかない。

よりしなやかな強度をもった言葉を探すしかない。

幸いに、探せばそういう思考、苦難を越えてきた強靭な思考を残してくれた人がいる。

例えば、レヴィナスみたいなね。

その人の言葉を、大事に噛み砕きながら、そっと自分の中に静かに収める。

私にとってそれは、宝探しみたいにウキウキすることで、そんな言葉に出逢うたびに、心に金塊が溜まっていく気分だ。

集めてきた言葉を書きとめたノートは、今も増え続けている。

貯めたら貯めただけ、善い言葉を見抜けるようになる。

そうすれば、誰の言葉が嘘で、誰の言葉が本当か、解る能力もつく。

誰かの言葉に、負けない力をつける唯一の方法はそれしかない。

生き抜くのに、最も大事な能力のひとつだ。

 

そして、だから一方で、裁判というシステムがあって、弁護士という職業がある。

言葉と言葉で、白黒をつけ、言葉で誰かの行為を代弁し、言葉でケリをつけるために。

簡単に潰されていく言葉も、言葉で掬いあげることはできる。本来ならば。

言葉を潰せるのは言葉だし、

言葉の効力を抹消するのも言葉だが、

言葉で何かを蘇生し、生かしてあげることもできる。

誰かの言葉を潰すとき、

あるいは、

誰かを言葉で勇気づけるとき、

それは(腕力以上の力を持つ)言葉の力によって、

誰かの存在を潰し、

誰かの存在を助けていることを

忘れてはいけない。

 

 

学生さんは、

たくさんの誰かと話をして、

たくさんの本を読んだ方がいい。

たくさん、自分の頭で考える練習をしておいた方がいい。

言説の海で、溺れたり、潰れたりしないために。

(社会人も、電車で動画しか見てない人増えたしね。

電車で誰かのどうでもいい日常のYouTubeばっか見てる場合じゃないのよ、ほんとに。

家でテレビばっか見てる場合じゃないのよ、ほんとに。

 

自分から、出ていかないといけない。

ほんのささやかな挨拶で、

ほんの少しの笑顔で。