よむためにうまれて

子どもの本のことを中心に、ひまができたときにのんびりと書いています。

『5番レーン』

年明け早々、季節とは真逆の本を読んでしまった。

これは、真夏に読んだ方がいいやつだなぁ、と思いつつも、

今年どうしてもやっておかねばならないことがある、

と思う人にはスタートダッシュを押してくれる?一冊になる?かもしれない。

 

ウン・ソホル作、ノ・インギョン絵、『5番レーン』の主人公は、

カン・ナルという水泳に打ちこんでいる小学6年生の女の子。

一方、テヤンは水泳がやりたくて強豪校で有名な漢江(ハンガン)小へ転校してくる。

転校初日、テヤンはナルのとなりの席に座ることになる。

 

ここで、スポーツ系の部活と無縁の人生を歩んできた人間からすると、

小学校にしてすでに「アマチュア」と強豪校の「エリート」とに、歴然とした差があると説明されていることに驚く。

テヤンが水泳部に入部したいと申し出ると、

コーチたちは、アマチュア大会で成績をあげても6年生では遅い、と入部を一度断る。

「英才教育」って残酷であり、でも、

普通の子が遊んでいるあいだも練習した先で味わう勝ち負けは、

そういう道を選んだ子にしか経験できない輝きを放っているのだろうな、と思う。

 

5番レーンに立つナルのライバルは、4番レーンのプルン小学校のキム・チョヒ。

どうしても勝てたない相手、

テヤンとの初恋、

おさななじみの親友スンナム、

競泳をやめて飛び込みへ転向してしまった姉、

と、各登場人物がしっかりナルの人間関係の土台を組んで、子どもが読んであきさせない「推進力」になっている(まぁ……。若干……「推進力」というよりは❝流れるプール❞と言いたくなる部分もないわけではないけれど)

 

しかし、ナルはチョヒに負けるたびに追い込まれ、事件は起こる。

プロットは飛び込みの魅力を語る姉の言葉とあいまって、

その状況に自ら飛び込むのか、押されて落ちるのか、

ナルに事件のけじめを問う。

 

競技への礼儀、ライバルへの礼儀、そして、がんばってきた自分自身への礼儀をもって

5番レーンに立つナルは、自分の足でスタート台を蹴る。

 

『5番レーン』は、韓国のトンネ児童文学賞の大賞を受賞していますが、

巻末に、著者の受賞の言葉と、選評が掲載されています。

この作者の言葉もさることながら、

選評代表者としての作家ソン・ミギョンの言葉がすばらしいので、

ここに引用しておきます。

生きていて、自分の心の奥底にたどりつけるチャンスがどれほどあるだろうか。自分だけのときめきに気づき、何かに全力をそそいでみる経験を、どれくらいできるだろうか。多くの子どもたちは、自分の欲望ではなく、親の欲望、世の中がさらけ出している欲望を追いかける。追いかけたいのかどうかもわからないまま。大人になっても同じだ。

ドキっとする言葉です。

それこそ潜水をするように、

「自分の心の奥底」へ向かおうとすると、

水圧に阻まれるものかもしれない。

その水圧をつくりだしているのは、ほかでもない己であるから厄介だ。