よむためにうまれて

これは、子どもの本の専門店や、気に入った本屋さんのはなし、などなど、上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるする記録です。

3日目の夜

留学に関する記事を2つ上げたばかりですが、

実はすでに留学生活が今週から始まっています。

コースはまだ再来週からですが、学生寮オリエンテーションやらなにやらが始まり、

まずは生活環境を整えているところです。

おいおい、そのような日常についての記事が増えてくると、

当初考えていたブログの内容からまたずれてくるなぁ、と考えていますが、

ひとまずこのままの体裁で続けてゆくと思います。

(以下、“ひとりごと” です。)

 

 

寮の共有ルームで今夜は7時からピザ・パーティがあるというので行ってみるが、

ピザもなく、ただ、ピザを待つ寮生で溢れかえっていた。

日本人の留学生はほぼいないだろうと見込んでこの大学を選んだが、

実際、本当にほぼおらず、マイノリティというのはこういう感覚なのか、と実感。

ギリシャ(私が個人的に世界で一番愛する国)&キプロス組のグループに混ざって少し話した後、

ピザがないなら部屋に一度戻っているか、と思い、外に出ると、

今度は昨日着いたばかりというアメリカ人と話し込む。

 

結局、9時近くまで話していて、お腹もすいたし、と思い部屋に戻って

軽食を食べて4日ぶりに日本のニュースを見て(テレビをネットから視聴できるように設定してきた)、

一気に共有ルームの雰囲気から引き離される。

自分が、地震があって、台風がきて、豪雨と洪水の襲う小さな島国からきた人間である、

ということを感じるだけで、なぜだか心が“しっかり”してくる。

いつも、なぜか、私が海外へ長期で出るタイミングで、大きな災害が起こる。

私はその様子を、いつも以上に「日本人だ」と感じる環境の中で、

外から、眺めるしかない。

遠くから、祈っているしかない。

でも、祈ることは、人を強くする。

毎年のように襲う災害の中で、日本は今、

別の新しい強さを体内につくりだしているんじゃないだろうか、と、時々思う。

 

ロサンゼルスとシカゴから来たという学生の明るすぎる明るさは、

彼らの国の文化から醸成されたものなんだろう。

「遅れて到着したらもう皆知り合ってるでしょ、こういうとこに来ても角に座っているしかなくて皆すっかり仲良くなってるの眺めてるのってほんと超気まずい、でもとりあえず知り合わないと、ここくぐり抜けないと、とかって結局来るでしょ、でもやっぱ気まずいでしょ、なんか自分変人?とかって思えてくるじゃん~~~~」ということをえっらい早口の西海岸英語で明るくまくし立てるんだけど、

そういう気まずい、ていうことすら、

ペラペラどんどん、ニコニコの笑顔で口に出していく文化なのか、

と呆気に取られつつ、感心してしまった。

このオープンすぎる白光LEDライトのような独特の明るさ、と対照的に、

ギリシャキプロス組は、私よりも全然若いのだろうけど、物凄く落ち着いた雰囲気で、

これまた他の寮生と一線を画す大人な空気感だった。

それも数ある遺跡や紀元前以来のヨーロッパ哲学発祥の文化から醸成された何かなのだろうか。

彼らのギリシャ彫刻さながらの美しい顔を、

そんなことを考えつつ惚れ惚れと眺めてしまった。

 

 

私は。

 

   ―どこから来たの?

 

   ―日本から。

 

地震があって、今も時間と戦いながら生きていてほしい誰かを、一人残らず必死で探そうとする人たちのいる国から。電気が止まる中、我慢強く辛抱強くその不便さに耐える人たちのいる国から。突然日常が大きく変わってしまって、すべてが無くなっても、もう一度前を向こうとする力を、再び芽吹くための息吹を、宿している国から。届いた支援物資に「ありがたい」と言って涙を流すおばあちゃんのいる国から。

 

そこから、来ました。

 

 

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(ここではお花が安い。グラジオラス、これで約230円くらい)