よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

選択こそ己だ

'It is our choices, Harry,

that show what we truly are,

far more than our abilities.' 

 

- Harry Potter and the Chamber of Secrets

                                   J.K. Rowling

 

アランは決断拒否こそ最悪だよ、と書きましたが、 

ダンブルドアはハリーにこう言っています。

能力なんかよりも、はるかに、

選択したことの中に私たちがいる。

 

 

ハリー・ポッターは、大ブームにはなったけれど、それはきっと、J.K.ローリングが、ハリーを「救ってしまうのが早かった」からじゃないかと思う。

ゲドみたいに、孤独に旅が続くわけではなく、一種「学園もの」のテイストがあって、それがアメリカのコミックヒーローみたいな愉快さを読み手に与えていたのでしょう。

必ず勧善懲悪となって1巻が成り立っている、と批評していた研究者もいます。

 

ハリーは一人じゃなくて、いつもロンとハーマイオニーがいる。

その分、ハリーの孤独は、ほかの児童文学の主人公の孤独よりも濃い、と言えるかもしれません。

J.K.ローリングも、愛すべき脇役や、父親代わりのシリウス、一番の後ろ盾のダンブルドアを、容赦なく、ハリーの前から消し去ります。

まわりの大切な人間関係に囲まれつつも、彼はたった一人で自分がどうするかを決めなければならない。

それが、恐らくこのヒーローの「味噌」たる部分なのでしょう。そうした物語の中の人間関係の網の目の上において、彼自身が、一層際立つようにつくられているのでしょう。

 

 

確かに、選択することの中には、私たちの資質のいろいろが見える。

勇気とか、思考、判断力、想像力、経験値などなど、それを選ばざるを得ない、という運をも含んで。