デカルトは、決断拒否はあやまちの中で最大のものであると言っている。
彼はくりかえしそう言っている。
だが、それを一度も説明していない。
人間の本性について
それ以上大いなる光を、
ぼくは知らない。
アラン『幸福論』(神谷幹夫訳)
アランの『幸福論』の中の「決断拒否」というプロポの冒頭です。
決断すれば、おおかたのことはまず、解決される、というフランス人らしい明瞭な精神が見える章で、これまでに何度も開いてきました。
思惟のおかげですぐに妥協策が講じられる。
両方の側の結果が頭のなかで浮かんできて、
何ひとつ進展が見られない。
(略)
頭のなかで考えているだけでは何も変わらない。
すべてのことが元のままである。
どんな行動のなかにも賭けの要素がある。
そして、最後はこうしめくくられます。
Il a résolu.〔彼は決心した。彼は解決した〕。
これは美しい言葉である。
一つの言葉のなかに二つの意味が〔決断と解決〕がある。
決断してしまうこと、それが一番の解決になる、
なんて、実際は実感がわからないけれど、
実は人間はそういうふうにできている。
ぐずぐずぐずぐずと、何もしないまま、
何をしようかと考えているほど無駄なことはなくて、
まずやってしまえば、そのうちに、
自分の行動が、次の行動をつれてきてくれて、
そして気がつくと、
自分の後ろに道筋ができあがっていたりする。
✿
昨年から、ちょっとした会合に月に一回顔を出さなくてはいけなくなったのですが、そこに出ているうちに、なんとな~く、ある考えが浮かんでいます。
「人間は、年を取るほどに、決断が遅くなるのではないか?」
決断する速度と年齢は、反比例する法則になっているのではないか。
もちろん、年を取られても果敢に決断される方もいると思います。
でも、子どもを観てみれば、このことがよくわかる気がします。
彼らは、次に何の遊びをしたいかすぐにわかる。
遊びながら次の遊びへと、やっていることを自在に変形させる。
ケンカをしても、知らない間にまた一緒に遊び始めているし、お腹が減れば不機嫌に、お腹がいっぱいになれば歌を歌いだす♪
決めてしまえば、動き出す、というお手本です。