よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

それでも元気にならないときには

(略)<シフト>を実践し、自分の働き方の未来に責任をもたなくてはならない。

そのためには、不安の感情に対する考え方を変える必要がある。

自分が直面しているジレンマを否定するのではなく、強靭な精神をはぐくんで、ジレンマが生み出す不安の感情を受け入れなくてはならない。 自分の選択に不安を感じるのは、健全なことだ。

(略)

そのジレンマのなかにこそ、あなたが光り輝くチャンスが隠れている。

 

 ―リンダ・グラットン『ワーク・シフト』(池村千秋訳)

 

前回の記事でふれた『ワーク・シフト』。

 全くこのブログとも子どもの本とも関係のない本ですが、この本を読んだときは、自分史上最強に息苦しい職場に入り込んでしまって、毎日、水に溺れたような気分がしていました。

(今日は少し個人的おはなしになります。ぜひここで止めましょう。笑)

 

迷走というよりは、絶対的袋小路、という気分でした。

どうしようという焦燥感の中、自分に目を向けてまず気がついたことは、仕事と通勤で精魂が尽き果てて、本を読む余裕が、心にも頭にも無い!ということでした。

何かに困ったとき、

わからないことがあるとき、

答えが自分の中にみつからないとき、

いつも必ず手がのびるものは、本でした。本、本、本。

そして必ず、答えを出してきたし、そんな状態から抜け出してきました。

だから、ドン詰まりのような職場に来たとき、そもそも働くってなんだ、仕事ってなんだい、という小学生のお仕事探し級な初歩的質問が頭の中をぐるぐるしていました。

そして、仕事に関する本で面白そうな本をとにかく読んでみました。

『ワーク・シフト』は、その中の1冊です。

何を読むかは別にして、読むことだけで、まず水没しかけていた状況から抜け出して、息ができるような気分になりました。本を読むことが自分にとって、呼吸に等しいほどだったことは、あの職場に行って初めて気がつけたことかもしれません。

最終的に、仕事ってなんだー、と本を読んでいるうちに、自分の思考の背骨をまた自力で立てられるようになって、そして、そこから、わずかにその仕事の意義を感じられることがあり、職場に少しは耐えられるようになると、そのうちに職場の環境自体も変わっていきました。

 

そして、最後の最後、回りまわってそんな袋小路から「児童文学」に戻ってくる、という自分の思考回路はやっぱり狂ってるな~(爆)、と思いつつも、その回り道に、どうしようもなく、自分自身が在る、とわかるようになりました。

 

前回の記事のあと、(『ワーク・シフト』ってなんか面白い言葉をメモってたっけ?)と思い、手帳をめくってみたら、割といい言葉が書いてありました。

もう一つこういうのもありました。

(略)「普通」 でありたいと思うのではなく、ほかの人とは違う一人の個人として自分の生き方に責任をもち、自分を確立していく覚悟が必要だ。

 

目の前の状況が未知の領域へと突入していくときは、最終的に「必ず答えを導き出す」と思う強さ自体が、自分を救う、といつも思います。

決断が解決だ、の言葉のように、絶対に答えを導き出す、と、そこをまず決めてしまうことで、もうすでに、答えが見つかるコースに人間は入るのだろうと思います。