前回からの続きです。
絵本の中からもう少しだけ、
お気に入りのイラストを載せます。
こちら☟のネコバス的なバスは、
ロンドンのアイコンといってもいいあの赤いかわいらしい二階建てバスを
犬にして描いたイラストだそうです。
いつも30番のバスに乗っていたそうで、
この30番にさえ乗れば、
行かなければいけない場所へ運んでくれる、
それは忠実な犬のように
見知らぬロンドンの街の中で自分を導いてくれるからだそうです。
ロンドン・ジャングル・ブック、
とはよく言ったものですね。
ロンドンは確かに、
忠犬もいるし、時を告げる堂々たる雄鶏もそびえている。
そんなふうに街を眺められたら、
どんなに生き生きと感じられるだろうか、と思います。
この絵本を読んで、
ぜひBhajju Shyamさんに東京の絵本もつくってほしいな~
と思っていたのですが、
絵本を読むほどに、いや、東京はここまでゆたかなジャングルに
うつるだろうか、と思うようになりました。
東京は乗り入れ路線数も世界一で、
あらゆる機能が密集していますから、
もしも別の生き物で例えるならば、
東京自体がまるで巨大な蟻の巣かもしれません。
その町が彼の目に
生きているように見えるのかどうか、
ちょっとわからないな、と思いました。
最後は、インドへ帰国して、
いかに彼が語り部となったか、が語られています。
ぼくにとっては、もう二度と戻ってこないことはわかっているから、
だから、
自分の一部をロンドンにのこしてこなければならなかった。
ぼくは英語が話せないから、
ただいえる言葉は「グッバイ」だった。
お別れ会でさよならといい、
ドアで、
道で、
タクシーで、
そして空港で、
たくさんのグッバイをいった。
今年のはじめのブログで、
アン・リンドバーグの North to the Orient の中の
日本語の「さよなら」という言葉にある潔さについて書きましたが、
ここにもまたひとつのサヨナラがあるな~、と思います。
だからこの最後のエピソードが特に好きです。
ここでのサヨナラのかたちは、自分の一部を残すんですね。
それもまた、あたたかくてせつないサヨナラの仕方です。
もしかすると実際に、作者にとっては
自分の一部をそこに残すような感覚があったのかもしれません。
自分のすごした時間は、
持ち帰ることはできずに、
街の中にとどまるような、
そこにいた自分は、
思い出でしかなくて、
現実の場所から自分の身が離れるとき、
後にする街とともに、
自分の残像みたいなものが、
残るように感じられるのでしょうか。
だとしたら、サヨナラとはそのような、
出逢った時間とそのひとときの自分に、
サヨナラをすることでもあるのかもしれません。
実際のビッグ・ベンは改修中ですが、
もしもロンドンでビッグ・ベン見たかったな~、と残念に思う方がこのブログを通りすがったようでしたら、
(たぶんいないと思うけど。笑)
代わりにこの絵本を開いてみることをおすすめします。
・・・といっても日本では売ってないのですが。。。