よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

師走とはよく言ったもので・・・

どうして12月というのは、よく分からないけど、あたふたしてくるんでしょうか。

全然更新する暇がなく、ここ半月くらいはとにかく細々したことは全部後回し!みたいな日々でした。日常って「細々」の積み重ねなんだなぁ、と思いました。

こういうバタバタ感というか焦燥感みたいなものの中にいるとき、いつも思うんですが、(いつかこれは終わるんだから!)と自分に言い聞かせます。だから良くも悪くも今、自分の身に降り注いでいるものを味わうしかないし、ここを抜ける方法もない、と。

何事も、必ず終わる、というのは人間にとって大いなる救いですね。

昨日からようやく落ち着いてきて、部屋の掃除をし始めたり、夕飯のあとでちょっとゆっくりテレビを見たりする余裕が出てきました。

そう、大丈夫、何事も永久に続くものなどこの世にはない。

 

テレビと言えば、先日たまたまチャンネルを回したら、タラブックスの絵本が手作業でつくられている、というはなしをやってました(NHKの「世界はほしいモノにあふれてる」という番組でした。2週間くらい前の回です)。

タラブックス出てるぅ🤩とテンションがあがり、後でゆっくり見ようと思って急いで録画ボタンを押しました。

 

しかも大好きな『夜の木』を取り上げていました!

インドのゴンド族に伝わる木の物語の数々が、芸術的な色彩で燃えあがるような形の木とともに描かれている絵本です。

ものすごく細かな絵を描いている作者さんのインタビューも入っていて、わずかな時間でしたが、あらためて心がウキウキしました♫

使い古した木綿をもとに紙をつくっていることをとっても、ゴンド族の口承文芸を見事に絵本という媒体で再生させていることをとっても、非常に画期的で、絶対ユネスコとかから表彰されていいのに (・-・)、といつも思っています。

途中からしか見ていないのですが、番組のテーマは絵本ではなく「紙」だったみたいです。 

『夜の木』や『水の生きもの』など、あの紙質も、表現のひとつとしてしっかりとした存在感を放っていますものね。

 

子どもの本の中では、木というのは、哲学的な存在として、これまでさまざまに描かれてきました。人間以上の年月を静かに見つめてきた生命に、人は自分以上の何かを感じたり、託したりしてきたからでしょう。そうした歴史の中に燦然と名を刻む、すばらしい絵本だと思っています。

工藤直子さんの『のはらうた』の中でも、「けやきだいさく」が歌っています。

わしの しんぞうは

たくさんの

ことりたちである

ふところに だいて

とても あたたかいのである

 

だから わしは

いつまでも

いきていくのである

だから わしは

いつまでも

いきていて よいのである

  (『のはらうたⅠ』/童話屋より)

 

『のはらうた』の中で一番好きなうたのひとつです(^-^)