よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

そういうふうにできている

会うことも、言葉をかわすこともできない、大事な人のことを、心の奥で大切に思う時間こそが人間を育てるのだと思います。

人間の心というものは、見えないもの、遠くにあるものを思うようにできているのです。

 

― 蜂飼耳「遠くの人を思うこと」(安房直子『童話集 白いおうむの森』あとがきより) 

(※今日の題名は、さくらももこさんのエッセイ集のタイトルからパクリました(笑!)。この言葉も大好きで、どうしようもない自分自身みたいなものにぶちあたってしまうときに、心のなかで言ってみると、バカボンのパパの名言「これでいいのだ」並みの威力をもって、まぁ、致し方なし、と思えます。)

 

先週末、留学中にフラットメートだったインド人がなつかしくなって、連絡を入れてみました。

インドは目下、13億人も人口を有しながら、全土封鎖を実施中です。

このニュースを聞いたときは「えええ!(◎_◎;)そんなことできんの?」と、度肝をぬかされました。

何を隠そう、大学寮のサービスに連絡して、フラットを変えてもらった理由は、もう一人のインド人のフラットメートが毎晩のようにキッチンに友達を呼んで遅くまで(というかほぼ朝まで)にぎやかにやっていたことです。

とにかく、にぎやかで、楽しくて、仲間といるのが大好きな人たちなのです。

あのときはちゃんと眠れなくて、頭痛がし始めて逃げ出した私ですが、それでも、どちらのインド人のフラットメートも私は好きでした。明るくて、とても愛すべき人たちです。

そんな彼らが外出禁止の日々を送っているのか、と気になっていた私は、お休みの夕暮れどき、夕飯をつくっていて、ふと、寮のキッチンを思い出し、フラットメートに連絡を入れてみました。

 

すぐに返事をくれて、元気に栄養士の仕事をしていると言っていました。

(そう、彼女は食べるものにすごく気を使っていて、野菜を愛するベジタリアンでした。)

地元の大学の博士課程にもアプライをした、と言っていて、お互いに幸運を祈りあいました。

 

その後、昨日の夜、facebookのチャットを久しぶりに開けて(私はfacebookが嫌いで、めったに開きません。。。嫌いだけど、アカウントを削除する決断もできない。。。へたれです)、私が彼女に連絡するより前に、彼女の方から、「どうしてる?」と連絡をくれていたことを知りました。

 

そうだそうだ、人間は、お互いを想うことができるんだった、と思いました。

あの人は元気にしてるだろうか、と、想うとき、

きっとその人も、どうしてるかな、

と思っている・・・かもしれない、

と考えてみると、なんとなく、

「人間」というものへの信頼を取り戻せるような気がします。

子どもの本が好きなのは、もしかすると、そういう信頼が、たくさんつまった芸術だからかもしれません。あるいは、そうした信頼の上に成り立っている、と言った方が、正しいかもしれません。

 

 

イタリア人のクラスメートにも先月連絡を入れてみました。

みんなどんどん仕事を失っている・・・、と言っていましたが、それでも彼女は最後に、

「だけど、私たちは今、

世界を慈愛をもって考える機会を得てる。

国や人種によってではなくて。」

と言ってました。

今、試されているのは、行動だけではなく、自分自身の心の在り様と思考力、想像力なんだな、と心を新たにさせられました。

 

 

最後に、クラスメートのいるミラノの大聖堂で一人で歌うアンドレア・ボッチェッリの動画をはっておきます♪

www.youtube.com

 

ひと気のないミラノの街並みが、とてもかなしく、うつくしいです。

そして、最後のAmazing Graceで、ボッチェッリが大聖堂を背に歌う場面は感動的です。

パリ、ロンドン、ニューヨークと映し出していく映像に、クラスメートの言葉を思い出しました。