よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

もうそれだけで何かの必殺技

鳥獣戯画展が緊急事態宣言とともに見られなくなってしまって、先日、本屋に立ち寄った際に、鳥獣戯画特集本の小さなコーナーがあったので、別冊太陽などパラパラと立ち読みしたら余計に見に行きたくて何だか気分も「絶望的」になってしまってよくなかったです。

 

雑誌で我慢しようたって、本来は公開されてて来場者がたくさんいたはずだろう大人気展なのだから、そりゃあもぅ本物が見たい。

なにごとも、締め切り間近とか、会期終了間近とか、そういう「マヂカ」になって焦り出す人生を今後はあらためていった方がいい、とこの機会に強く思った。うむ。

 

きっと、鳥獣戯画って国宝の中でも随一の国民的人気を誇る宝物のひとつなんではないかと思います。

眼が手放しで悦んじゃう躍動感であふれまくっていて、なんだか見てるだけで幸せになれますもんね。

あー。あー。あー。

見たい。

 

留学中にクラスメートと週一くらいで開催していたブッククラブで、それぞれの国の子どもの本を紹介し合おうということになり、恐縮の極みながらも日本代表を務めた際、日本のイラストレーションの‛走り’とも言える書物として、鳥獣戯画のことにもちょっとだけ触れたことがある。

そのとき、これは「National treasure of Japan」だと言ったら、コロンビア人のクラスメートが

「その言葉の響きがステキなんだけど」

と目をうるうるさせていた。

(南米の、心の反応を素直に言葉と顔と身振り手振りで表す文化もステキなんだけど。と私は思いました。)

さてそういわれるとなんだか、

「国宝」という響きもいいかもしれない。

こくほお、ってなんだか、

ひっそりと倉の中におさまり、大切に大切にしまわれつつも芸術性を失うことなく何百年も息吹を宿して、外界へのお披露目の機会が来たときにはいつの時代の人の目に触れようともその圧倒的無類性からくる威厳を放つ感じが、「コク」のカ行な堅さと「ホオ」の秘めた雄大さに出ている気がする。

国宝○○像、とか、国宝○○図、とか、頭に国宝が付くだけでピリっとして門外不出感がするもの。

国宝鳥獣戯画、てもうそれだけで何かの必殺技なのかと思うほど胸がトキメク響きがするもの。チョウ(鳥)のあとに畳みかけてくるジ・ギ・ガの濁音がかっこよすぎるし、頭のコクのあとに3文字伸びる音が続いて、ギガ!で締めるところも絶妙だもの。

この名前だけで国宝中の国宝です、ていう感じがするもの。

 

史上初の4巻公開なんて一生に一回の機会かもしれないし、実物を前に、心の底から日本人に生まれてよかったと、今この時、日本にいられてよかったと、思いたい。

あー。あー。

ぜひそう思いたい。