よむためにうまれて

上昇気流にのって旋回する沖合いのカモメのように、子どもの本のまわりをぐるぐるしながら、ぷかぷかと日々に浮かぶマナティのような個人的記録も編んでいます。

絶対に消してはいけない

人と人との“絆”こそが街の本屋の真骨頂だったのである。

 

 ―長岡 義幸『「本を売る」という仕事』

 

前回の記事で、本でいかに救われてきたか、をつづってみました。

あの経験以来、脳みその呼吸に無くてはならないものなのだ、と実感しました。

そういった意味では、本屋さんは、ライフラインと言ってもいいです。

私にとって本屋さんは、医療機関の皆さんと同じくらい必要不可欠、と言っても過言ではないかもしれません。

政府が今回、本屋は市民の情報収集に必要、と判断して、休業要請対象にしなかったのは、賛成できます。

それでも、開けているのも大変だし、閉めても大変、という状況はもちろんあるのだろうとお察しいたします。

他方で、古本屋さんには休業要請が出ています。

以下は、東京古書組合の広報部長さんの言葉です☟

www.kosho.ne.jp

 

終わりの方に、こうあります。

 しかし文化の火は絶対に消してはいけない。
 疲れ切った心を抱え冷たく閉ざされた世界に、本の力は必要です。

そのとおり!と思います。

まさに私が仕事で疲れ切っていたとき、思考力の背骨を立て直すことができたのは、本があったからでした。

脳みそって、実は、筋力で出来ていて、読書は、その筋トレの種類のひとつなのだと思います。

 

ところで、休業要請とは関係なく、いつもよく行く駅チカの本屋さんが、先月閉まってしまいました。。。

とても残念です。。。

ちょっとふらっと行って、おもしろそうな本があったら手に取って。そうやって、さまざまな本との出会いをくれた本屋さんでしたし、本棚の並び、とか、手に取りやすい棚の高さなんかが、気に入っていた駅チカ本屋さんでした。

今はちょっと足をのばして別の本屋さんに、ということも自粛しているので、結果的にネットで買うばかりになっていますが、なるべく、個人書店そうな出品者さんとか、古書店加盟の出品者さんから買うようにしています。

 

📚 

井上ひさしさんの『本の運命』というのを、大昔に読みまして、それがたぶん自分にとっての「本というもの」のイメージをつくりあげたと言ってもいいかもしれません。
books.bunshun.jp

井上ひさしさんは何しろ、昔住んでいた部屋の床を本で抜かしてしまったというほどの方です。

手に取る本に、時に、人と出会うのと同じくらいに運命的なものを感じてしまう、というのは、すごくよくわかるように思います。

今までも何冊か、そんな特別な本があり、そのとき読んでいた風景と重なって、どこでいつどんな思いでその本を読み終えたかを、しっかり思い出すことができます。

だから私にとっては、本は、そのときの人生の時間を一緒に歩いてくれるものです。

通勤電車の中でこの一節を読んだんだよな~、とか。

仕事の合間の昼休みに、あそこの公園で読み終えたんだよな~、とか。

真夜中に、一人暮らしのあの部屋で読み終えたな~、とか。

昨日と変わらない日常の一コマが、本と、そのときの自分の時間と重なって、特別なものになったりします。

そこから少し、自分の人生の風景を変えてくれたりします。

 

きっと、今年、2020年の、この風景、

自分の日常の中に閉じこもるしかなかったこと、

繭のなかにじっとしているような気分、

それでいながら、世界中のことが気になっていたこと、

そんな想いや景色とともに、

今、このとき読んでいた本を思い出すでしょう。

 

そして、また元のように、

子どもの本屋さん巡りを、再開したいです!(´;ωヾ)

 

 

本屋さんへの、愛をこめて。

motion-gallery.net