今年も、年明け早々から決して明るくはないニュースばかりだなぁ、と思っていたら、そうした諸々の世の中の動きへの思いをなぎ倒すに十分な訃報が飛んできて、今はもう、そのさびしさでいっぱいです。
夜のニュースなどで、もう少し特集でも組まれるかと思っていましたが、そんなものも見受けず、こんなもんでいいのか、世界のANNOが逝ってしまったことを、日本中と言わず世界中に叫ばないとダメじゃないのか、などと思っていました。
私はなんだかまるで、深い森の奥に、ものすごく大きな木が、樹齢千年を超える屋久杉みたいな大木があって、それが根本から倒れた音を聞いたような気分がしています。周りの森がその大木があるおかげで、とても豊かになっていたようなそんな木が、倒れてしまった気分です。
安野さんが原作を手に取ってほしいと訳した鷗外の『即興詩人』も、まだ読めていないままです。
この本の原作がアンデルセンで、それを鷗外が訳し、さらにその文語に魅せられた安野さんによる口語訳を読めるというのは、詩人の魂が受け渡されていったようなうつくしさを感じます。できることなら、アンデルセン本人に、こんなふうにこんなすばらしい日本の画家があなたのImprovisatorenを訳して現代の日本人も楽しめるようになったんですよ、と教えてあげたいくらいです。思えば、この『即興詩人』の口語訳も去年読んだばかりでした。
そして折しも今日は、森鷗外の誕生日なんですね。
以前、ロンドン旅行中に、ジャパンハウスで安野光雅展を見ました。
それがきっかけで、帰国してから早速『昔の子どもたち』を買いました。
安野さんの幼き日の島根県津和野の風景が、ユーモラスな手書きの文章によってつづられています。
少年光ちゃんの感性と、今や国際的な評価を不動のものとした安野さんの現在地とのはるかな距離が、素朴な日常の情景の中にも濃縮されているように感じられる1冊です。
それでいて、少年光ちゃんは変わらず安野さんの中にずっといて、ずっと繪をかくことに憧れつづけ、挑みつづけていたのではないか、とも思えます。
訃報を聞いてから、久しぶりにちょうど10年前に出された『絵のある自伝』(文芸春秋)を手にとりました。
その中に、代表作のひとつとなった『旅の絵本』の着想を得たことが書いてあります。アンカレッジ経由でコペンハーゲンに飛行機でおり立ったときのことだと言います。眼下には教会を中心とした街並みや、和辻哲郎が「牧場」と名づけた風土の様子がきっと見えたのでしょう。たくさんのものが見えたそうです。
みんな同じ地球の上に住んでいる。
そして国それぞれ、人それぞれに、ちがった毎日をおくっているのだと感じた。
そのとき一千もの人々の暮らしの詰まった『旅の絵本』を描きたいとおもった。
この「みんな同じ地球の上に住んでいる」という言葉がいいなぁ。。。と思って当時例によってメモ帳へ書きこみました...φ(. . )メモメモ。(引用の改行は私がしたものです。)
今でこそ、文字のない絵本は、絵本というメディアの最大限の表現として、さまざまな角度から研究されているし、欧州を難民の波が襲ってからは、文字のない絵本なら誰でも読めることから、難民の子どもたちへ届けようということで注目されたりもしました。
文字は説明的な意味を持っているが、絵は説明ではない。
壁に飾る絵に、題名はあっても文字はない。わたしたちの見る風景の中にもそれを説明する文字はない。
見ている風景に説明書きが付されていて、それをふむふむと読んで目の前の世界が何事であるかを理解するなんてことを、わたしたちがしているわけではない。
それでもわたしたちは、風景のむこうがわにいく千人もの人々が暮らしているんだなぁ、と想像することはできるし、その暮しに興味をもつこと、風景が自然と人間の双方の営みの総体であることを、理解しながら見ることができる。頭のなかでそういうものだ、といちいち言語化せずとも。
それは、「みんな同じ地球の上に住んでいる」からこそ湧いてくる想像力であるし、たがいの暮らしをいつくしむことができる感情だ。
つまり、わたしたちが『旅の絵本』シリーズを愛してやまないのは、
わたしたちが人間が好きであることの証左なのだ。
『絵のある自伝』のあとがきで、篆刻を中国で買い求めたエピソードがつづられています。杭州で骨董級の高値の篆刻を目にし、そこに彫られた「雲中一雁」の言葉が気に入られたそうです。
「雲中一雁」の真の意味は知らない。が、一人はぐれて旅をするおちこぼれを空想する。絵描きも殆ど一人旅で、認めてもらえなくてもやむをえないという前提である。一言でも鳴いて、雲中を行くじぶんを誇示しては甲斐ない。そんな風に解釈して、このことばにあこがれていた。
実際の安野さんは、一人どんどん羽ばたいていき、ユーラシア大陸をとびこえ、西の果てにまでその名を知らしめたわけです。
留学したときも——私の大学は(これっぽっちの書棚しか子どもの本に割いてないのか)とちょっと最初ショックを受けたほど、そこまで冊数は多い方ではなかったと思いますが——アルファベット順に並べられた児童書の棚の「A」には、しっかりとAnno Mitsumasaの絵本が数冊おさめられていました。それを見つけたときは、何だか異国の町で、はるばるよく来たね、と言われたような安心感がわきました。
『天動説の絵本』(私は特にこの絵本大好きです)、『ABCの本』、『ふしぎなえ』、『旅の絵本 イギリス編』。それらの本は、いつも課題に四苦八苦している私を、海外の児童書が並ぶ書棚から、はげましてくれました。
先生が授業用に持ってきた絵本の中にも、『イソップものがたり』のうつくしい表紙がまざっていたりしました。中国人のクラスメートは 'Anno' の大ファンでした。冬のある日にふと校舎の5階の窓から古い屋根の連なる街並みが見えたとき、その景色に「これまさにAnnoだよ!」と大はしゃぎで写真を撮ったりしました。
実際の街並みが、むしろ 'Annoのイギリス' に見えた瞬間でした。
雲の中の群れに遅れたのか、
ただ一羽飛んでいく雁が見える。
はぐれてしまったのか、
でもまあ飛んでいこうという感じ
今はどんなとこを飛んでおられるのでしょうかね。
新しい旅を楽しんでいらっしゃることをお祈りしたいです。
今日の東京は、雲ひとつない冬晴れでございました。
涙。