エリック・カールの訃報で5月が終わっていくけれども、
いったい5月らしい5月は何日くらいあったのか、梅雨なのかそれとももう夏なのか季節感もよくわからないまま、サイドブレーキが引かれたままアクセル踏んでるような状態(壊れるよ、車)で6月へ突入しますね。
かつては"はらぺこあおむし"だったであろう蝶々もあちこちで飛んでいて、花や草木から、季節はとにかく進んでいるから心配しなくても大丈夫、と教えられている。
下の姪っ子は幼稚園にあがる前くらいの頃、『はらぺこあおむし』の歌に合わせて絵本を読んでもらうのが大好きで、終盤のたたみかけるように青虫がアイスクリームやらピクルスやらペロペロキャンディやらカップケーキやらスイカをばくばく食べたあとで、お腹が痛くて泣くところで
泣いちゃったぁぁぁ
と一緒にしょんぼりしたあと、
次の回復するページでは、
あ! 食べた あおむし 葉っぱ!☀
とうれしそうに感動を露わにしていた。
この、動詞、主語の名詞、目的語の名詞を並べていく順番は、彼女にとってどんなふうに感動がやってきたかの順番をきれいに表していてすばらしいと思うし、食べられてよかったよー!という「あおむしな気分」を一緒に味わっていたのだと思う。
この感動の瞬間は兄が動画を取っていて、永久保存版として携帯と家族LINEのノートに保存されている。
かわいすぎて、開くと10回くらいは繰り返し見てしまうので、最近ではめったに開かないけれど、今回の訃報を聞き、もう一度開いてみて、いったい何百万、何千万、何億というこの感動が、地球上の数知れないリビングのカーペットやベッドやら畳の上で湧きおこったことだろうと、ちょっとした感慨に浸った。
姪っ子は今や食欲のかたまりで、実家の裏のプランター育ちのブロッコリーの葉っぱをむしゃむしゃとそのまま食べるほど、野菜もよく食べる子に育っている。(※注:『はらぺこあおむし』を読んでもらって育った子どもが野菜好きに育つ、というような安易な因果法則の成立を証明するものではありません。)
そのような動画が送られてくると、「はらぺこあおむしな人ですね」と叔母は感想を返しています。
仕事でお世話になっていた某途上国の児童書売り場でその国の言語版の『はらぺこあおむし』を見つけたときも、とっても感動したのをおぼえている。
大きさや紙の厚さや色の具合が、日本で売られているものと何の遜色もなく見事に再現されていて、ページを開けばきちんとあおむしの食ったあとが。早速1冊親友の子どもに買い求めた。
このとき、『はらぺこあおむし』は、途上国においての一種の児童書出版の成長指標にもなり得ていることを実感した、と言ってもいいのかもしれない。
まるで一家に一冊的に、誰もが知っている『はらぺこあおむし』だからこそ、この本を正規に翻訳・出版することは、翻訳児童書として途上国の大手出版社がまず何よりも着手するだろうところだし、
加えて、子どもがいじくりまわして指でグリグリされたってへっちゃらでござる、という出版技術も同時に併せもって初めて店頭に並びうる本なんだなぁ、と。
両手におさまった『はらぺこあおむし』を眺めながら児童書コーナーでしみじみとそんなことを考えるとともに、
その国最大の売り場面積を誇る本屋さんで、店中に聞こえる大声で、
お子さんいるならこの本おすすめですよおぉー!
と、宣りたくてたまらなかった。
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ところで、この☟記事の中で、以前撒いた種が芽を出していると書きましたが、
なんとこんなにも見事に二世たちが花を咲かせました!!
花も育てる人間に似てしまうものなのかどうか、成長が遅いのがたまに傷ではありますが、イギリスから買って帰ってきた種が初めて東京の空気の中で花を咲かせ、今、二代目としてその花の残りから芽を出し花を咲かせてくれたことが奇跡のようでうれしいです。
おとなりのヒメヒオウギは実家からもらってきた、やはり二代目の方です。
茉莉花とか源平菊とか、可憐な上に色が変わる花が大好きなのです(*´▽`*)
そんなわけで、私の小さなベランダも「じゃじゃこんまつり」です。